西野正府『享保日記』より

子喰い

 享保十四年七月、神田明神下に屋敷を構える寄合衆三千石取り、本多五左衛門殿の家中での出来事だ。

 本多家の家来何某は、ある夜、当番で主人の屋敷の広間に泊まった。
 その留守に、妻が三歳になる娘を喰い殺し、続いて当歳の子も喰い殺した。
 九歳になる長男は、幼い弟妹が喰いつかれて激しく泣くのを聞いて、逃げ隠れた。
 二人の子を喰い終わった妻は、長男も喰おうとして追い回し、かたや喰われまいと逃げ回りながら大声で叫んだ。
 騒ぎに隣家が気づいて駆けつけ、ただならぬ様子を見て驚いて、どうしたのかと妻に質したが、
「夢を…、夢を見た」
とばかりで、ほかに何も言わない。顔色は尋常でなく、眼の色も変わり、髪は乱れ逆立っていた。
 大勢で取り押さえ、夫を呼び戻すとともに、ただちに主人へも報告し、夜明けを待って妻の実家へ送り返した。

 乱心といえばそれまでだが、いかにも不思議な事件だ。あるいは、何かほかにわけがあったのだろうか。
 その後すぐ夫も出奔して行方知れずになってしまい、結局どのように始末がついたのかは定かでない。
 同じ町内に住んで詳しく知る者から聞いた話なので、確かなことである。
あやしい古典文学 No.1465