渡邊政香『今昔参河奇談』「旧塚蜂を出す」より

信玄蜂

 『和漢三才図会』によれば、信玄村に信玄堂がある。
 長篠の戦いで討ち死にした武田の一族一万余の骸が、その地に埋められると、信玄の亡霊が蜂と化して群飛し、大いに人を刺した。
 大恩寺の演誉上人はこれを弔い、亡魂を慰めた。今、七月十六日に松明をともして村人たちが踊るのは、その遺風である。

 地誌『三河柵補松(みかわさんぽのまつ)』によれば、津具村・下谷村など四ヵ所に、「信玄塚」と呼ばれる墳墓がある。
 かつてその塚から数万の大蜂が出て、伊那街道の往来が止まるにいたった。
 天正年間、三河・尾張・遠江の寺院がこれを弔って祀ったので、怨霊は鎮まった、と。
あやしい古典文学 No.1470