山口幸充『嘉良喜随筆』巻三より

副葬品

 丹波の千ケ畑(せんがはた)の辺りで、開墾のために地面を掘ったら、瑪瑙石の宝塔が出てきた。中には、仏の歯「牙舎利(げしゃり)」が納められていた。
 鏡も出てきた。さらに、青銅の経筒を十二本掘り出した。

 経筒は、墓の亡者のまわりに立てたものとみえる。
 清和天皇の隠棲地である水尾(みずのお)もほど近いから、清和の頃の貴人や有力者の墓で、筒には経文や平生使い慣れた道具などを入れて置いたものであろう。
 そのうちの一つには、三十個ばかり、人の親指に似た形のものが入っていた。骨はなく、肉が干固まったようなもので、針金で貫いて繋いであった。
 何か分からず、人の五体のうちにはなさそうだったが、よく考えてみると、そうでもない。
 これは、死人の家来が、殉死のつもりで、遁世発心の羅切(らせつ)をなしたのであろう。おのおのが陰茎を切り、まとめて埋めたのだと思われる。
あやしい古典文学 No.1480