森春樹『蓬生談』巻之十「廣瀬直道但馬国にて蛇怨念有る家にいたりし事」より

祟られた家

 筆者の友 広瀬凡雲老人の三男が、僧侶になって真道と名乗り、山陽・山陰を遍歴したときのこと。
 但馬国の某村で、古い大きな家に立ち寄って午後の一飯を乞うた。
 四五十歳くらいの当主が飯を出してくれたので、食べながら家の様子を眺めるに、建ち並んだ土蔵小屋などがひどく荒れて、軒が落ち、壁も倒れたままになっている。大きな家なのに、当主のほか人の気配もない。
 不審に思って、食べ終わってから事情を尋ねた。

 当主の話によれば、事の起こりは、今から三、四代前。そのころは家が隆盛で、下男下女を多数召し使い、田畑も広く耕作していた。
 下女が米をといだり飯櫃を洗ったりする池の岩場に、小さな蛇が棲んでいて、飯粒の落ちたのを出てきて食べた。そこで、時々余った飯を集めて食べさせてやると、しだいに馴れて、人を恐れなくなった。
 後には、いよいよ馴れて、下女の後について家の中にも入ってきた。ついには床下に棲ませて、飯やそのほかのものを食わせて飼い、猫に名づけるように名をつけて、呼べば聞き分けて出てきた。
 しかし年々大きくなって、床下から顔を出すのを外から来る人が恐れるようになった。村の者さえ来なくなっていくので、しかたなく、ある日、主人は蛇に向かって言い聞かせた。
「おまえがこの家に居ては、人が怖がって来ない。人が来ないのは、家のために大変都合が悪い。今後は山に棲んでくれ。明日、送ってやる」
 晩のうちに大きな畚(ふご)を作って、翌日、
「さあ、これに乗れ」
と差し寄せると、素直に畚に入ってとぐろを巻いたので、数人で担いで一里ほど山奥まで運んだ。
「この辺でよかろう。ここに居ろ」
 畚ごと置いて帰り、翌日、どうしているやらと心配した主人が食物を持っていくと、同じ場所に居た。折々行ってみるに、いつもその辺りに居たが、その後、少し離れた小さな滝のある水際に穴を掘って棲んだ。
 ところが、蛇はその穴をさらに掘り広げるらしく、下流の百姓の飲み水となる滝の水が濁って、困ったことになった。
 百姓たちは蛇を追い払うよう求めたが、主人はどうしたものかと迷うばかりで手を打たない。業を煮やした百姓たちが役所に訴え出たので、官命によって役人が来て、主人に案内させて滝の下へ行き、ただちに蛇を殺害して捨てた。
 以来、家内に厄災が続き、ある者は目を病んで盲人となり、ある者は死に失せた。
 これはきっと蛇の祟りにちがいないと、骨を拾って弁才天に祀り、慰霊した。しかしその甲斐なく、一人また一人と死んで身代も衰え、今は当主だけが、大きな家に住んでいるのだった。

「弁財天の祠は、まだ庭の池にあります。行ってご覧になってください」
 勧められて行ってみると、いかにも豪家の庭らしい広さの中に、池も築山も見事に造りなして、池の小島に小さな祠があった。
 当主はさらに言った。
「蛇が我が家に祟ったのは当然のことなのか、筋違いなのか。考えると難しいところですが、とにかく、こうまで成り果てた以上、仕方ありません。懺悔のためにも、包み隠さずすべて申し上げました」と。
あやしい古典文学 No.1482