慙雪舎素及『怪談登志男』第二「千住婬蛇」より

恋の執念

 人が化して妖物となった例は、中国の書にも数々記されているけれども、たしかに見たという人もないし、遠い昔の話だからどうも疑わしい。そう思っているところに、最近、こういう話を聞いた。

 慶長のころか、武州千住の在郷に一人の美しい娘がいた。世にまれな容色であるばかりか心ばえも優しく、「百姓の娘にもこれほど女があるのか。まさに茨の枝に花が咲き、泥池に蓮が花開いたかのようだ」とあたりの人々は称賛してやまなかった。
 街道を行き来する者は、貴きも卑しきも、この娘の姿に足をとどめ、返り見ずにいられなかったが、なかでも粕壁の彌一郎とかいう男が、娘にかぎりなく恋慕した。
 しかし、もともと結ばれる縁がなかったのか、千束の恋文も手に触れてさえもらえないまま、彌一郎はとうとう想い死にしてしまった。後にその話を耳にして、娘の両親は心をいためたが、どうしようもないことであった。

 やがて、娘にふさわしい男が婿に定まった。
 婚礼の夜には、一族が集まって賑々しく祝った。娘の両親もほっとして、明日からの寝覚めもよかろうと喜んでいた。
 翌朝、新婚の夫婦が起きてこず、ずいぶん日が高くなっても音もしないので、家に久しく仕える老女が部屋に入ってみたら、娘は茫然と我を失って、ただ泣き臥していた。どうしたのかと近寄ると、あまりに無惨な姿で息絶えた婿の姿があった。幾匹もの蛇がその身を締めつけ、目鼻にまで細い蛇が入り込んでいた。
 老女の知らせで家じゅうが驚き騒ぎ、婿の親も駆けつけた。昨夜は喜び祝った家が、たちまち嘆きの底に突き落とされた。人界の習いとはいいながら、酷いことだった。
 しかし、いつまでも嘆き暮らしてもおられず、亡骸は墓地に送られて、一基の土饅頭になった。それを見る人は、ただ落涙して憐れむばかりだった。

 その後、この辺りの不良少年たちが、かの娘を誘拐しようと企んだ。
 風雨の激しい夜、豆腐屋の長助という者が、闇に紛れて難なく娘の家に忍び込んだが、それっきりいっこうに出てこない。仲間たちは今か今かと待ったが、いたずらに夜が更けゆくばかり。
 だんだん気味が悪くなって、少年たちが立ち去ったあと、娘の家が大騒ぎになった。
「大変だ。誰か知らぬが忍び込んだらしい」
「こんなところで死んでいるぞ」
 隣家の人が行ってみると、二匹の蛇が男の腹を巻き締め、死骸の顔色は一変していた。
 死んだ男は大路に引き出され、晒された。もともと悪事を為そうと忍び込んだ結果だから、誰が咎めることもなかった。

 それにしても、祟りの蛇は恐ろしい。両親はいろいろな祈祷も行ったが、少しの効き目もなく、蛇は娘の傍らをしばしも立ち去らない。
 ある人が、
「蛇は、娘に懸想して命を落とした男の執念そのものだ。もしこの蛇を喰い尽くす者がいたら、婿にするとよい」
と教えたので、このことを広く人々に告げ知らせたが、「我こそは蛇を喰わん」という婿志願者は一人もなかった。
 娘は痩せ衰え、世間では誰言うとなく「蛇になって鱗が生えた」などと風聞した。風聞は次第に流布して、江戸の町までその噂でもちきりになった。

 いつのころからか、娘は親にさえ顔を見せず、引き籠って寝込んでいたが、ある風雨の激しい夜、切り立った岩の下の淵水に飛び込んで、跡形もなくなった。
「これはすべて、粕壁の彌一郎の執念にちがいない」
と、昔を知る人は語った。
あやしい古典文学 No.1482