鈴木牧之『北越雪譜』初編巻之下「泊り山の大猫」より

泊り山の大猫

 三国街道の関宿の近くに、飯土山(いいどさん)がある。その東の続きの阿弥陀峯(あみだぼう)は、村々が木こりをする山だ。
 旧暦二月になり、雪が降り止んだころ、農夫らは阿弥陀峯で木を伐ろうと申し合わせ、食糧を用意して山に入る。仮小屋を建てて寝泊まりし、毎日ここかしこの木を心のままに伐って、薪にして小屋の横に積み上げ、十分な量になったら積み置いたまま家に帰る。これを「泊り山」という。
 夏・秋になれば積み置いた薪も乾くから、牛馬を使って家まで運び、冬の燃料に使う。雪深い地では、雪降る中で山に入って木こりすることができないからで、当国越後が雪のために苦心することの一つである。

 阿弥陀峯には水の湧くところがなく、谷川はあるが、十数メートルの崖下を流れている。翼がなければ汲むことができない。
 ただ一ヵ所、大木にまとう年経た藤蔓が谷川に垂れ下がったところがある。泊り山をして水を汲む者は、樽を背中に括りつけ、その藤蔓にすがって谷川へ下る。水を汲むと樽に栓をして再び背負い、藤蔓にすがって上る。それはまるで、雲の架け橋を上下するかのようだ。
 この藤蔓がなければ、水は得られない。代わりに縄を用いるとしても、藤蔓の強さには及ばないだろう。だから、泊り山をする者は、藤蔓を宝のごとく尊ぶのだそうだ。

 ある年、泊り山をした者が語った。
「今年二月に泊り山をしたときのことだ。仲間の者七人があちこちで木を伐っていると、山々に響き渡るほどの大声で猫が鳴いた。みな恐れおののいて小屋に戻り、手に手に斧をかまえながら耳を澄ませば、猫は近くで鳴くかと思えばまた遠くで鳴き、遠くに聞こえたかと思うとまた近い。多数の猫かというとそうではなく、声はまさしく一つの猫のものだった。姿はとうとう見せなかった。鳴きやんて後、恐る恐る近くで鳴いたと思われる場所へ行ってみると、凍った雪に踏み入れた猫の足跡があった。その大きさは、普通の丸盆ほどもあった」と。
 にわかに信じがたいことだが、天地の造物の中には、このようなものがないともいえない。

 筆者の信州の友人は、こんなことを語った。
「ある人が千曲川へ夏の夜釣りに行って、人が三人も座れるほどの岩が流れに突き出ているのを見つけた。よい釣り場だと思って岩に上り、釣り糸を垂れていたところ、しばらくして、岩に手鞠ほどの光るものが二つ生じた。なんだこれは、と思ったが、雲間から現れた月の光でよく見れば、そこは岩ではなく巨大な蟇蛙の上で、光るものは目だった。その人はもう生きた心地なく、何もかもうち捨てて逃げ去った」と。
あやしい古典文学 No.1492