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藤岡屋由蔵『藤岡屋日記』第十二より |
花見の安産 |
ころは弥生の花盛り、王子稲荷の開帳とあいまって飛鳥山は大賑わいで、近年まれな数の人々が詰めかけた。 ことのほかうららかな天気のもと、思い思いに着飾った花見の男女の中に、ひときわ目立つ美しい町家の年増盛りの姿があった。ニ十三、四歳くらいで、衣装から髪飾りまであでやかに調えていたが、惜しいことに腹が大きく膨れ、いかにも臨月という重たげな歩きだった。 女の連れは、同じ年格好で器量も劣らない女が一人、それぞれの亭主と思われる三十近い男が二人。この四人が、飛鳥山のよい場所に茣蓙を敷き、腰に提げてきた吸筒・わりごなどを広げて花見を楽しんでいた。 ところが、腹の膨れた女がにわかに産気づいた。腹の痛みが堪え難く、連れの者たちが大いに当惑しながら腹をさすりなどするうち、いよいよ強く苦しんだ。とにかく近くの茶屋でも借りようかなどと騒いだが、もはや一足も歩けない。物見高い花見の衆が集まってきた。男二人はただおろおろするばかり。 そこへ折よく山の下の道を、薬箱を持った医者が通りかかったので、すぐさま呼んで頼み込んだ。 「今にも産まれそうなんです。どうか手当を…」 しかし医者は、たいそう迷惑した様子で、 「じつはこっそり花見に来たのでのう。往診のこしらえで屋敷門を出たものの、中身はこのとおり…」 と薬箱を開けば、中身は刺身・重詰・肴あれこれ。それを見た男二人は、 「おやおや。これならば酒でも差し上げたいところだが、ご覧のとおり吸筒の酒もすでに飲み干してしまいました。どうしたものか…」 するとほどなく懐妊の女が、唸りながら何やら産み落としたらしい。股の間から出てきたのは、およそ三升ほどもある酒樽だ。 見物衆の中から三味線を持った者が飛び出し、産婦の連れの女と調子を合わせて弾くと、医者は唄を謡いはじめ、産婦も踊りだした。 人々は意外な成り行きに胆をつぶし、あきれ果てた。 皆々かつがれてしまったわけだが、「今年の花見の趣向の一番」との評判は、もっとも至極であろう。 筆者の友人も、その日、王子稲荷へ参り、帰りに飛鳥山で、右の次第を始めから終わりまで見たそうだ。 |
あやしい古典文学 No.1494 |
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