大田南畝(著)/文宝堂散木(補)『仮名世説』下より

串刺し清吉

 大工清吉は、難波町に住んでいた。
 薬研堀あたりで家の普請を請け負い、その棟上げの日、梁の上で足を踏み外して地面に落ちた。
 人々が驚き騒いで、急いで助け起こしてみれば、隣家の塀の上の忍び返しが折れて、右の脇から左の腹まで串刺しに貫いていた。
 しかし清吉は、少しも怯んだ気色なく、すぐさま人の肩に掴まって我が家に向かった。
 帰り着くやいなや、酒一升とマグロの刺身を取り寄せ、飲んで食った。家族をはじめ皆が止めたが聞き入れず、
「今から療治にかかると、薬効の妨げとなる物は食えなくなる。だから、日ごろ好きな物を食ってから療治を受けるのだ」
と言って、さらに蕎麦を取って、これも気持ちよく平らげ、いざ! とばかりに忍び返しの竹を引き抜かせた。
 それから色々な医療を受けて、しばらくすると平癒し、以前のごとく日々大工仕事に精を出した。

 十四五年を経て、清吉は傷寒を患って死んだ。
 これほどの豪傑も、病に勝つことはできなかった。定まった運命は逃れがたいということだ。
あやしい古典文学 No.1499