青葱堂冬圃『真佐喜のかつら』六より

いななく当主

 甲斐国巨摩郡山ノ神村に、三井孝左衛門という旧家がある。祖先は武田家の臣で、三井助七郎と名乗り、武勇の名は『甲陽軍鑑』にも見える。

 あるとき助七郎は、敵方の火攻めに遭い、絶体絶命の状況に陥った。やむなく乗っていた馬に向かい、
「我は今、生きるか死ぬかの瀬戸際にある。この場をさえ脱すれば後の戦いで必ず勝てるが、火が四方に燃え盛って逃れる道がない。おまえの命を我に与えよ」
と言って、太刀で馬の腹を割いて臓腑を引き出し、馬の体内に体ごと潜って、ようよう危機をのがれた。

 助七郎の子孫は、武門を離れてすでに数代になるが、当主は臨終のとき、必ず馬のいななくような声を出して死ぬ。
 ただし、他家から婿養子で来た当主の場合は、いななくことがないそうだ。
あやしい古典文学 No.1508