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竹原春泉『絵本百物語』巻五「夜楽屋」より |
夜の楽屋 |
木の人形だろうが泥人形だろうが、人形遣いが魂を入れて演ずれば、その心が人形の内に精魂となってとどまる。芝居の人がみな知るところだ。 野呂松三左衛門の人形をまたいだ者は瘧(おこり)を患い、人形に詫び言をして癒えた。 夜の楽屋で、高師直と塩谷判官の人形が夜もすがら争ったこともあった。 丑三つ時に楽屋に入れば必ず怪異に遇うというが、もっともなことだ。切られた首が棚で眼を見開き、腕は千切れて血綿の紅にまみれ、怒れるもあり笑えるもあるのは、もともと人の霊を写したものだからだ。 慶長のころまで人形はみな土頭だったが、伏見の満江斎がはじめて木を彫って作り、それから木頭になったという。 人形師 土斎の歌には、 捨てねども家こそでくの坊主なれ 鬼も仏も手づくねにして (出家のくせに家を捨てないデク坊主が、鬼も仏も手捏ねで作るのさ) とある。 深草の里の墨染寺に、最近まで土斎の石碑があったと、壷井某が教えてくれた。 |
あやしい古典文学 No.1510 |
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