菅茶山『筆のすさび』巻之二「源実朝大船を造りし説」より

実朝の大船

 鎌倉幕府三代将軍、右大臣 源実朝は、みずからを中国の高徳な某禅師の生まれ変わりと信じ、中国へ渡ろうと、大船の建造に着手した。
 しかし、その船はあまりに巨大であったため、海浜に浮かぶことができず、計画はあえなく頓挫した。

 当時の不穏な鎌倉の政治情勢にあって、実朝はなにゆえ、そのように突飛な構想を抱いたのだろうか。
 今思うに、その身は権臣に制約され、やがて謀殺されかねない身辺のありさまであったから、なんとしても北条家を倒そうと決意したのではないか。
 計画通りに大船が完成したら、多数の将兵を乗せて鎌倉を脱し、畿内・中国であれ、九州の筑紫であれ、上陸して旗揚げすれば、きっと味方する者があったはずだ。たとえ武運つたなくして敗死しようと、鶴岡八幡宮の銀杏樹下で甥に暗殺されるむごさより、はるかにましであったろう。

 実朝に確かな志がなかったわけではない。しかし、その実現は困難だった。
 中国、北周の武帝は、政権を独裁して専横を極める重臣 宇文護を我が手で突き殺したが、これは特別な事例である。和漢の歴史上稀有の出来事なのだ。
あやしい古典文学 No.1512