HOME | 古典 MENU |
加藤曳尾庵『我衣』巻十四より |
牛若の安 |
京橋の下槇町の魚屋の主人は、じつはしたたかな盗賊で、久しく正体を隠して暮らしていたのだった。 もとは甲州の生まれだが、生国でどれほどの悪事をはたらいた末か、逃れて江戸に来て、日本橋で運び人足となった。三四年は真面目一方で働いたので、その様子を知る人が仲人して、魚屋に婿入りした。近所の人々も常にほめそやす温和な人柄で、子が二人あった。 文政二年二月十四日の朝、同心五六人と岡っ引き三人が、この男を捕らえようと近所に待機していた。 八時ごろ、朝飯を食うときの油断を見すまして、まず岡っ引き二名が飛び込んで組みついた。男は振りほどいて、傍らの薪を取ると、何の苦もなく二人を打ち据えた。 続いて同心二名が走り込んできたのを見て、飛鳥のごとく二階に駆け上がり、屋根へと逃れ出た。 それから騒ぎになって、呼び集められた大勢の人が「そっちだ、あっちだ」と追い廻した。町内の鳶の者数十人は、棒や鳶口を手に屋根に上って捕らえようとしたが、鳶口を奪われたあげく次々に屋根から突き落とされるなど、散々な目にあって退いた。 このあとは町々の木戸を閉めて往来を止め、細かく手配してあちこちの屋根を調べまわった。しかし、あるときは庇の上に現れ、かと思えば空家の二階に隠れ、なかなか捕縛できそうにない。どうにか見つけ出して、 「あっ、ここにいたぞ!」 というので大勢が駆けつけたところに、屋根の瓦を雨のごとく投げ落としたから、下に群れた者たちの顔やら頭やらに当たり、多数の怪我人が出た。 男は、こっちの屋根からあっちの軒へと、三メートルほどのところを飛び渡った。風説では、十数メートルも飛んだなどといわれた。 とにもかくにも手こずっているうち、これを聞き伝えて来た見物人がおびただしく四方に満ちて、周辺一帯は祭礼のごとく人が行き交い騒動した。 そんななか、やっとまた見つけ出して、一人の岡っ引きが呼びかけた。 「おまえがどんなに逃げ回っても、もう袋の鼠だ。あまたの人を傷つけて罪を重くするより、すみやかにお縄にかかれ」 すると男は、 「いかにも我が運は尽きたとみえる。覚悟は決まった。向こうの店の下へおりるから、そこで待ってくれ」 と言う。捕り手たちが喜んで、店の下に集まったところ、屋根の上で前をまくって、人々の頭上にしたたか放尿した。 「わっ、きたねぇ!」 みな地団駄踏んで悔しがるのを尻目に、男は嘲笑ってまた屋根の向こうに姿を消した。 その後もさんざん手こずらせたが、一日じゅう屋根を逃げ回ったせいで、ついには力尽き、午後四時ごろ、やっと召し捕られた。 この男は近年名高い盗賊で、異名を「牛若の安」という者だった。 八年のあいだ悪事をはたらいて発覚しなかったが、手下の盗賊が上州で召し捕られ、そこから露見した。あくまで人を人とも思わぬ男で、縄がかかっても大言を吐き、皆もてあますほどだったという。 騒ぎの様子を、たまたま澤井廣菴子が行きかかって見たらしい。また平尾の文思子も、その日筆者に用があって来て、帰りに通りかかって見たそうだ。 |
あやしい古典文学 No.1518 |
座敷浪人の壺蔵 | あやしい古典の壺 |