『本朝故事因縁集』巻之四「木人火を燈し夜毎出行」より

木人

 長門国の桂木山に、数百の木人が作り置かれてあった。
 天文十八年の春から冬にかけて、木人たちは夜ごと炬火をかかげ、方々を遊行した。
 人々は驚いて、国主の大内兵部卿義隆に注進した。
 義隆は、「木人と名づけたからには、歩行するのも道理だ」と、食物を送ってこれを供養した。

 このような奇異は、善事ではない。もしそれをきっかけとして善政を行うときは、吉事となる。
 後漢の洪武帝は、槐の木が一夜の内に逆立ちして、根が天を指したのを見て、自ら政治を正した。すると、槐の木は元どおりになった。
 義隆は家中を正しく治めず、ゆえに二年後の天文二十年に大内家は滅亡した。

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 昔、中国に、諸葛孔明という人がいた。
 いまだ民間人であったとき、孔明の家は貧しく、客が来ても十分なもてなしができなかった。
 あるとき孔明の妻は、木の人形を作った。その後、妻は客に美味な珍しい料理を出した。
 不審に思った孔明が、そっと台所を覗くと、妻は櫃の中から木人を多数取り出し、それを使役して調理しているのだった。
 孔明は感心して、自分でも木牛・流馬を案出し、大いに用いたのである。
あやしい古典文学 No.1526