『江戸真砂六十帖広本』巻之七「大和屋が小僧ぬけ参りの事」より

出歩く小僧

 浅草御蔵前に、大和屋与兵衛という米屋があった。
 惣領娘は六軒堀の冬木三右衛門という者の妻となり、弟が家督を継いで、大久保主水の娘を嫁としたが、ニ十八歳で病死した。その後は、先代与兵衛の後家が切り回した。

 大和屋の宗旨は日蓮宗で、田甫長円寺の檀家だった。
 あるとき、店の小僧が伊勢へ抜け参りした。後家は立腹して、追手を出して連れ戻すと、手を縛り、皮籠の中に入れて、食事も与えず放置した。
 ところが翌日、小僧がそこらを出歩いているのが、後家の目に入った。
「勝手に許して皮籠から出したのは誰だ」
と怒ったが、ほかの者には小僧の姿が見えない。
 不思議に思って皮籠を開けてみると、小僧は中で臥していた。起こしても起きず、よくよく見れば、いつの間にか死んで、手足も冷えていた。
 大騒ぎになって、医者を呼んで診せたが、もはや脈も絶えて手の施しようがない。長旅で疲れた体を折檻されて、心臓が止まったのだろう。不憫なことだ。
 小僧の実家へは、人を遣って病死と伝え、身請け人を通じて相応の弔い料を渡した。実家はそれで納得して、何事もなく弔った。

 しかし大和屋では、小僧が平生の姿で茶の間などを歩き回った。目にした者が驚いたのは言うまでもない。
 後には、夜になると醤油樽ほどの火の玉が出て、座敷を巡った。
 大和屋へは見物人が詰めかけた。瓦版の格好のネタとなり、「伊勢大神宮の御利益」と呼ばわりまわったが、ほどなく、どういうわけか風説は止んだ。
あやしい古典文学 No.1528