源顕兼『古事談』巻之六「伴ノ別当、相して頼経の危難を免れしむる事」より

観相家

 一条院の御世に、伴ノ別当という名高い観相家がいた。かつて内大臣藤原伊周の大宰府配流を予言したこともあった。
 この者が所用あって出かけたとき、橘頼経という騎馬武者が七八人の下人を従えて行くのに出逢った。
 すれ違いざま頼経の相を見た伴ノ別当は、行き過ぎてのち呼び返して告げた。
「こんなことを申すのは憚られるが、神仏の加護にかかわることだから、申さぬわけにはいかない。今夜中に、お命の危ういことが起こりますから、くれぐれも気をつけられよ。夭折なさる相が現れておりますぞ。早く帰って、息災を祈念なさいませ」
 人相占いの達人に指摘されて、頼経は驚いて尋ねた。
「どのような祈念をすれば、その難を免れることができましょうや」
「うむ…、あなたにとって何よりも大事に思われるものを、たとえ妻子であっても殺しなどすれば、もしかしたら災いを転ずることができるかもしれません」
 頼経はさっそく帰途につき、道々考えた。
「持ち馬の大葦毛こそ、妻子以上に惜しまれるものだ。よし、あれを殺そう」

 帰り着くやいなや、弓に雁股の矢をつがえ、居間の前に一頭だけ別に繋いであった大葦毛に向かって、弦を引き絞った。
 しかし、まぐさを食いながら立っていた馬が、主人を見て無心にいななくさまに、射殺そうという気持ちは一瞬にして失せた。
 そのとき頼経の美しい妻は、夫のほうを見やりもせず、大きな皮張りの行李に寄りかかって麻糸を績んでいた。
 頼経がとっさに逸らした矢は、妻の体を貫いて行李に突き刺さった。
 妻は即死だった。さらに背後の行李がむくむく動き、中から血が流れ出てきた。
 不思議に思って蓋を開けると、抜いた刀を握った法師が、尻に矢を受けて、死にかけていた。
 頼経が寝た後に殺させようと、妻が密夫の法師を行李に隠しておいたのだった。
 まったく、伴ノ別当という観相家は、ただ者ではなかったのである。
あやしい古典文学 No.1531