源顕兼『古事談』巻之二「惟成、清貧の事 他」より

糟糠の妻

 昔、藤原惟成(ふじわらのこれしげ)の家に、貴族の文人仲間が集まったことがあった。
 惟成は貧しく、家財が何もなくて、家は四壁が殺風景に丸見えだった。客には、市場で干し米と交換した甘葛煎(あまづらせん)を出した。
 召使がいなかったから、惟成の妻が婢のなりで給仕したという。

        *

 惟成が文章得業生で蔵人所雑色を務めたころ、観桜の宴で、各人がそれぞれ全員分の一品目を用意して持ち寄るという趣向があった。
 「飯」を割り当てられた惟成だったが、当日は、飯を入れた長櫃二つ、鶏卵を詰めた容器一つ、折箱いっぱいの擣塩(かちしお)を、人夫が担いできた。その豪勢さを見て、人々は口々に嘆声をあげた。
 その夜、惟成が妻と添い寝して、手枕して妻の後ろ髪をまさぐったら、下髪がすべて切られてなくなっていた。
 驚いてわけを問うと、
「太政大臣家の炊事場の人と交渉して、わたしの髪と飯などを交換し、長櫃をそこの下男に担ぎ込んでもらったのです」
と答えた。妻に愁嘆の色は微塵もなく、無邪気に微笑んでいた。

        *

 惟成が貧乏暮らしだったころ、妻はさまざまに工夫して、恥をかかないようにと夫を助けた。それなのに、花山天皇の即位とともに側近として出世した惟成は、源満仲の婿となって、糟糠の妻を捨てた。
 惟成の旧妻は、怒りを胸に貴船神社に詣で、
「あの者を懲らしてください。ただちに死ぬことは望みません。まずは乞食にしてやってください」
と祈った。
 百日の参詣のあいだに、夢の御告げがあった。
「惟成は今かぎりない幸運のもとにあるゆえ、すぐ乞食にするのは難しい。考えがあるので、少し待て」と。

 ほどなく、花山天皇が退位して出家した。惟成も随って出家し、托鉢して歩いた。
 旧妻は、
「入道姿の惟成が、長楽寺あたりで乞食をしている」
と噂に聞くと、一人前の食膳と白米少々を携えて、そっと惟成のもとを訪ねた。
 かつての妻が往時をなつかしく語り、あるいは泣き、あるいは怨むのを前にして、惟成は、
「何もかも、あなたのおっしゃるとおりだ」
と深く頷いたという。
あやしい古典文学 No.1532