中田主税『雑交苦口記』巻之一より

鬼子母神

 江戸の元数寄屋町三丁目の長屋に、勘七という魚売りが住んでいた。
 勘七は母と兄と三人で暮らしていたが、母が大病したので、昼は兄弟の一人が魚を売りに行き、もう一人が看病するという生活になった。
 ところが、兄もまた病に倒れた。母も兄も大傷寒の症状で、ともに湯水を摂れず苦しんだ。
 勘七は仕方なく、雑司ヶ谷の鬼子母神に病気本復の大願を祈り、正月八日から十五日まで裸参りすることにした。昼は魚を売り、夕方帰って炊事して母・兄を養い、夜に入ると丸裸になって鬼子母神へ参った。
 十三日は、昼から大雪が降って寒気はなはだしく、風も吹きすさんだ。それをものともせず裸参りに出かけたが、小日向水道町中ノ橋、旗本 柘植松之丞の辻番前で、吹雪にまみれて倒れ死んだ。

 これほどの孝心はめったにないと思われるのに、仏神の恵みもなかったのか、勘七は横死してしまった。その結果、母・兄の両人までも餓死するにいたった。
 近ごろ御利益が評判の鬼子母神が、あまりといえばあまりな仕打ちをするものだ。
 諸人のありきたりな病気さえ本復させるのに、この勘七をなぜ救わないのか。願い人が大勢なので、忙しさに紛れて忘れたのか。これでは、鬼子母神のおかげで死んだようなものではないか。
 もしかして、賽銭の少なさに腹を立てたのかもしれんな。
あやしい古典文学 No.1533