中村満重『続向燈吐話』巻之十「駿河国藤枝山中、件出る事」より

くだん

 駿河国田中の城主 本多伯耆守領分の百姓が、深山へ木を伐りに分け入ったところ、首より上は婦人の顔で、胴体と手足は牛に似たものが出て、人のごとく立って歩き、百姓を見てニコニコ笑いながら山奥へと消えた。
 見たこともない異形のものだったから、百姓は恐れわなないて、やっとのことで逃げ帰り、人々に告げた。
 聞いた人々は怪しみ疑いつつ、さらに別の人に伝え、ほかの人に物語ったので、しまいには領主の伯耆守の耳に入った。
 伯耆守は、捨て置けないことだと山狩りを命じたが、いつのまに逃げ失せたのか、異形の獣の行方は知れなかった。
 『見たと言った者の偽りかもしれない』との疑いから、かの百姓を数日拘留して取り調べがあったが、後日赦免されたという。

 この獣を、半人半牛の姿から「件(くだん)」と呼んだと、その土地の者が語った。
 享保十年過ぎのことらしい。
あやしい古典文学 No.1547