新井白石『白石先生紳書』巻八より

菊が来る

 小瀬復庵が今年の九月二十一日に語った話だ。

     *

 昔、加賀に小幡播磨という人がいて、下女の菊という女を斬殺した。理由は、飯の中に針が入っていたというものである。
 菊は、死に臨んで言った。
「私のしたことではないものを、無実の罪で殺されるのが怨めしい。今に見よ。播磨にゆかりのある者は、残さずこの怨みを思い知らせてやる」
 菊が斬られて後、まず小幡の家が断絶し、やがて外戚や遠縁の子供なども、ひたすら死にに死んで、残った者はわずかになった。

 小幡の縁者に有賀内膳という人がいた。内膳の子供も次第に死に失せるなか、子の一人の有賀平三郎は、奥小姓として藩主の供で江戸に来て、上屋敷に在った。
 本来奥小姓の居所は、外向きの役と違って、外部からの人の出入はできない。しかし平三郎が病みつき、みるみる重患となったので、親類らが藩主に願い出て看病に集まっていた。そんなとき、見知らぬ馬子が台所に入ってきて駄賃を求めた。
「なんの駄賃だ」
と問うと、
「今ここに来た人の馬賃ですよ。女の人を一人、乗せてきましたから」
と言う。
「ありえないことだ。見てのとおり、女などいないではないか。なにゆえあらぬことを言うのか」
「わざわざこんなところまで、でたらめを言いに来るはずがないでしょう。あらぬことを言うのはそっちですよ」
 言い争うなかで、馬子に対し、
「そもそもおまえは、表の門をどのようにして通ったのか。人が入ってくれば門番が知らせるのがふつうなのに、知らせがなかったのは変だ」
と訊くと、
「門は何事もなく通りました。咎める人もありませんでした」
と答えた。
 そこへ、有賀家で長年召し使われている者が、騒ぎを聞きつけてやって来た。
「またまた例のものが現れたか。ああ、しかたがない…。どうこう言っても無益なことだ。駄賃をやって、門まで連れて行って帰すがよい」
 それで門まで行ったが、そのとき門番に、
「あの馬子を、なぜこちらに知らせずに入れたのか」
と尋ねると、
「今もそのことを言い合っていたところです。不審なものを通した覚えは全くありませんが、この門から入ったとの話で、みな驚いています」
と首をひねっていた。入るところを誰も見ていないのだった。
 それ以上とやかく言うのは互いのためによくないということで、口に出されることもなくなり、ほどなく平三郎も死んだという。

     *

 復庵は言った。
「それにしても、菊が来たという話になったのは、納得できません。加賀から遥かの道を馬を借りて来たなんて、筋書に無理がありませんか」
 しかし、私は別のことを思った。
「いや、よいことを聞いた。晋の太子 申生が陰謀により自殺に追い込まれた後、その亡霊が車馬に乗って現れたという話がある。それを『申生自身はともかくとして、車馬にも魂魄があるというのか。納得できない』と古人が評した。もっともな見解だと思っていたが、申生の車馬も、この馬子の馬と同様に、実の車馬をいかにしてか借りて用いたもので、それに申生の魂が乗ってきたのにちがいない。
 しかし、馬も馬子も実のものにもかかわらず、門を入るときに番人に見えなかったのは、たしかに不思議だ。また、すでに菊が入り込んだ後には、馬も馬子も実在のままの姿で見えた。これも怪とするべきだ」

 復庵はさらに言った。
「今もまだ、小幡播磨の縁につながる者がいて、蒔絵でも染物でも刺繍でも、菊の形のあるものを見ると胸苦しくなるそうです。じかに見るだけでなく、たとえ戸を隔てていてもいけないそうですから、ましてや本物の菊花など、もってのほかだと思われます」と。
あやしい古典文学 No.1550