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『岩邑怪談録追加』「豺狼、路に当り人を救ひし事」より |
ありがとう、狼 |
宇佐村から石見の国へ行く途中に、星坂峠という山道がある。 ある人が用事で石見に赴き、帰りは夜になった。 峠にさしかかると、道に狼が横たわっている。ほかに通れるところはないので、またいで通ろうとしたら、狼が衣の裾をくわえて引き戻した。やむなく止まると、くわえたまま山へと入っていく。その人は、『もうどうしようもない。狼の巣窟に連れ込まれて、餌食にされるのだ』と思いつつ引かれていった。 一山越えてまた山に登り、頂上に至った。狼が裾を放したので立ち去ろうとしたら、またくわえて止めるので、その意に従ってとどまった。 ふと見ると、はるかな向こうから、松明が列をなす星々のようにともって動いている。だんだん近づいて、前の山の尾根まで来た。 よく見れば、山猫が幾百となく行列をなして進むのだった。火と見えたのは彼らの眼光だった。不思議に思って息をひそめて見つめていると、やがて大将とおぼしい巨体の山猫が現れた。その周囲を多数の猫が警護していた。後備えというべき一団も通った。 ことごとく通過して、眼の火も見えなくなると、狼はその人に対して一声吠えて、山の中に走り込んだ。 ここではじめて、あのまま峠道を行けば山猫に害されると知っていた狼が、自分を連れて逃げてくれたのだと気づいた。 「かたじけない」 その人は、狼の去った方を向いて、人に物言うように丁寧に恩を謝し、一礼した。 それから元の峠道に戻って、無事に帰宅した。 |
あやしい古典文学 No.1553 |
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