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谷川琴生糸『怪談記野狐名玉』巻之五「肉食入道修行の事」より |
四十九村 |
河内国の高崎という村のはずれに住む商人が、立願のことがあって諸国行脚を志し、入道姿になった。 この入道は、気持ちは仏道に傾倒していたが、本性は悪党であって、ありとあらゆる肉食を好んだ。魚類は言うに及ばず、諸鳥鹿猿虫蛇にいたるまで、嫌うということなく望んで食する肉食入道であった。 さて、旅立ちの拵えがととのうと、商売は長男に譲り、娘を妻に頼んで、早々に出発した。道々では野に伏し山に宿り、食事もその時まかせで明け暮れ歩んで、やがて石見国へ入った。 人里離れたところで日が暮れて、道の先を月明りにすかして見れば、二十歳くらいの若い女の死骸が転がっている。 「思えばこれまで、あらゆる肉食をしてきて、いまだ食わないのは人間だけだ。この機会に是非食おう」 おもむろに小刀を抜き、死骸の太腿をざっくり抉ると、近くの沢水で洗って口に入れた。しかし、まるで口に合わず、食えたものではない。 「いつかは人を食おうと思ってきたのに、いざ食ってみれば、人肉はなんとも味気ないものだ」 がっかりしながら、ともあれそこで野宿しようと草に寝ころび、露に衣をぬらしつつ、しばしまどろんだ。 すると夢ともなくうつつともなく、おのれ自身が眼前に現れて、 「人を食うならば、生きた人を食わねばならぬぞ」 と言い放った。その姿は神とも見えず、さりとて人でもない。さては魔道が魅入ったかと気づき、 「わしは神国に生まれながら、人肉を食うまでに身を持ち崩した。あさましい限りだ。なんとしても改めねば…」 と心を取り直した。 入道は、それからは肉食をやめて回国しつつ修行を重ね、伊勢路を目指して至ったのは、伊賀国の四十九村という所。人家に立ち寄って、 「一夜の宿を頼みたい」 と乞うと、気安く一間に招き入れてくれた。 その家の主人は何かと気を配り、菓子やら夜食やらとさまざまに馳走して、 「夜も更けましたから、これにて」 と、自室に入って臥した。 ところが夜半になって、入道は、なんだか月代(さかやき)を剃るような物音がするのに気づいた。 何だろうと思って隙間から覗き見るに、先ほどの主人が頭の毛をごっそり坊さんのように剃り落とし、さらに葬礼の拵えをしているのだった。 あまりの不思議さに一間から出て、家内の人に尋ねると、 「まことにこの村は四十九村と申しまして、人間四十九歳になると、向こうの山にあのように紫雲がたなびき、菩薩たちがお迎えにいらっしゃるのです。ありがたいことです」 と言う。 そこで入道は、 「わしはこれまで野山を家としながら、怪しいことに出会わなかった。こんな珍しい話は初めて聞く。生きた人を野辺送りするとは、いやはや、思わぬめぐりあわせで不思議を見ることだ。子孫に伝えて、話の種にもしよう。いや、それよりも、わしも今年四十九歳になるから、ご亭主の代わりに、今宵はわしを野辺に送ってくれまいか」 と頼んだ。 当初は誰も聞き入れなかった。しかし、紫雲のたなびくのをありがたく思いつつも、一世の別れだから、家内の嘆きもつのるいっぽうだ。 しばらくして人々が静まったときに、再度頼み込むと、 「そうまでおっしゃるなら」 ということになって、人々は入道を葬送していった。 その入道は、夜明けがたに戻ってきた。 人々は驚き、 「どうしてお戻りになられたか」 と尋ねたところ、入道は語った。 「さてさて、昔から四十九歳で送られた村の衆は、気の毒であった。みな狸どもの餌食になられたのだ。紫雲をたなびかせ、菩薩たちの姿を見せたのは、みな古狸の仕業だった。わしがやつらを残らず叩き殺してやったわい」 |
あやしい古典文学 No.1559 |
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