谷川琴生糸『怪談記野狐名玉』巻之四「一休和尚四国にて危き事」より

水汲む音

 一休和尚が諸国行脚をしたときのことだ。
 秋の半ばごろ、四国の某所で一宿したが、真夜中の二時前後と思われる時刻に、どこからか微かに水を汲む音が聞こえた。
 『不思議だな。まだ寝ない家があるのだろうか』と、なんとなく耳を澄ましていると、さも哀れげに女の泣くような声も混じっている。『これは…』と思って聞き入るに、たしかに泣き泣き水を汲んでいるようだ。
 『さては、何かに迷って浮かばれずにいる霊か。あるいは心無い者に責め使われている女か。見届けよう』と、戸外に出てよくよく見回したが、何の影も見えない。ただ哀れに水を汲む音がするばかりだ。
 あまりに不思議なので、宿の主人に尋ねたところ、
「毎晩のことですが、どこから聞こえるのか、場所も知れません」
と言う。
 そこで一休は、歌を詠んだ。

 掘らぬ井の所も知れず波立ちて影も形もなき人ぞ汲む
あやしい古典文学 No.1560