加藤曳尾庵『我衣』巻八より

謎の暴漢

 六月二十日の夜、木綿の単物(ひとえもの)を着た男が、わらじ履きで四手駕籠に乗り、浅草聖天町に仮屋している辰巳屋という遊女屋へやって来た。男の年のころは、二十歳あまりに見えた。
 男は辰巳屋の二階に上がったけれども、その衣服に血が付いているのを女郎が見とがめて、男衆に知らせた。
 皆が注意して見ると、たしかに挙動が怪しい。どうしたものかとひそひそ話していたが、そこにたまたま岡っ引きを勤める者が居合わせて、ただちに取り締まりの町方同心に報告した。
 同心と岡っ引き二名が二階に踏み込むと、男は煙草盆の灰吹きを取って、一方の岡っ引きの眉間に打ちつけた。さらに脇指を抜いて、詰め寄る同心に切りつけた。横に身をかわすところを、背から腰にかけて八寸ほど切った。もう一方の岡っ引きが後ろから組みつくと、これも振りほどいて切った。三重の帯をすっぱりと切ったが、運よく体は傷つかなかった。
 これで店じゅうが騒ぎ立てて、捕らえようとするも逃げ回られ、かえって障子のところで行き合った若い者が、肩先から真っ二つに切り殺された。大騒動の中、男は窓を蹴破って逃げ去った。
 あちこちを捜索したが、もはや姿はどこにも見えなかった。

 翌二十一日の朝六時ごろ、三絃堀の藤堂公の辻番の前を通る男があった。衣類が血にまみれ、抜身の脇差を帯びていた。辻番人は警戒し、棒を突いて見送った。
 その男は、相生町大通りの豆腐屋が戸を開けたばかりのところへ立ち寄って、水を乞うた。豆腐屋は驚いたが、柄杓に汲んで与えたところ、ずいぶん飲んで出ていった。
 続いて、横町の外科医 吉見三益のところへやって来た。
「昨晩、駒込あたりで喧嘩して少し傷を負った。治療を頼みたい」
 右手を出したのを見ると、指が三本半切れている。三益は、
「刃物傷は、たしかな請合い人なしでは治療できない」
と断った。
 男は筆と硯を求め、残った指に筆を挟んで書状をしたためた。
「小石川の川勝屋敷に、これを届けてもらいたい」
 そこで使いの者に持参させたが、川勝屋敷では宛名の人に心当たりがないという。もしや川勝ちがいかと、愛宕下の川勝家へ行ってみたが、そこにも宛名の人はいなかった。
 昼ごろ、使いが帰ってしかじかと報告したので、三益はあらためて、きっぱり治療を断った。
 男はしかたなく膏薬一張りを乞い、古い布切れを貰って手を包み、抜身を覆い隠すように持って出ていった。
 大勢が男の後ろ姿を見物した。横町から和泉橋通の春木といううなぎ屋の前に出て、左右を見回し、和泉橋の方へ行き、川端に下りて衣服を洗い、やがて見失ったという。

 この一件に関わった者はみな召し出され、厳しい詮議を受けた。しかし手がかりらしいものはいまだなく、風説ばかりが高い。
あやしい古典文学 No.1563