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林羅山『狐媚鈔』「衢州」より |
待っていた女 |
中国、宋の景定年間のこと。 衢州(くしゅう)の士人が都に上る旅に出て、ある日、林の中でしばらく休んでいた。 そこへ一人の女が来て、 「あなたは、どこから来た人ですか」 と訊いた。 「衢州から都へ上る者だ。そなたは何者か」 「この近辺の者です。夫は遠くへ商売に出かけて、まだ帰りません」 女は士人を家へ連れてゆき、茶をすすめ、膳を設けてもてなした。 ほかに人の気配もなかったので、士人は女を抱き寄せて交接した。 その後、旅を続けるべく出発しようとすると、女は引き留めた。しかし士人はきかなかった。 女は名残を惜しみ、緑の薄絹二疋を贈って言った。 「帰りに、必ず寄ってね」 都に至った士人は、街路で遇った道士に、だしぬけに指摘された。 「おぬしの腹中に、邪気が入っている。早く治さぬと、大変なことになるぞ」 「なんと…。しかし、思い当たることはないが」 「よく思い出せ」 「さては、先日あやしい女と交わった。そのせいにちがいない」 道士は、一粒の薬を与えて飲ませた。 士人は腹中から蛙や蛇をいっぱい吐き出した。地に落ちたそれらは、みな生きて跳ね、のたくった。女に貰った薄絹をあらためて見ると芭蕉の葉だったから、士人は驚き呆れた。 道士は、さらに紙剣を授けた。 「帰路に女に会ったら、この剣を飛ばして去れ」 士人は礼を言って別れた。 都からの帰り道、かの女が現れ、少し離れたところから、 「あなたは、なぜ赤の他人の言を信じて、わたしにそむくのか」 となじった。 士人は紙剣を飛ばした。女は剣に当たって倒れた。見れば、一匹の牝狐だった。 士人はその後、科挙に及第した。 |
あやしい古典文学 No.1565 |
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