中村満重『向燈賭話』巻之四「老猪」より

老猪

 出羽国の者が語った。

     *

 先年、我が国にて、老猪を撃ちとめた。

 総じて猪の首は横に向くことができない。だから横へ走ろうとするときは、大きく輪を描いて行かねばならない。負傷した猪が怒り狂って追ってきても、追われる人が横に逃げると、害されることを免れるといわれる。
 猪の二つの牙はよく切れる刀剣のように鋭く、それを用いて木の根を掘り、土石を崩す。猛って走るとき、この牙に当たった草木はばらばらと切れ落ちて、あたかも青草を薙ぐかのようだ。

 あるとき猟師が、萱野において大きな猪を見つけ、鉄砲を続けざまに三発撃った。手ごたえがあったから、狙いは外れてないはずだった。
 ところが猪は少しも弱らず、怒り猛って襲ってきた。あいにく狭い谷間で、横へ走る余地はない。松の古木を見つけて、鉄砲を腰帯に挟み、火縄を口にくわえて木によじ登ると、猪はまっしぐらに走ってきて、松の根を掘り穿って倒そうとする。
 『倒れたらもう助からない。運に任せて、上からつるべ撃ちにしよう』。銃身を下に向け、腹を狙ってぶっ放すと見事に当たって、手足を宙に向けてあおむけに倒れた。しかしまた起き直り、松の木に全身をかけて押し倒そうとする。
 狂ったように押しまくる猪の下顎が、いかにも撃ちやすく見えたので、また下向きに狙ってぶっ放した。すると弾が急所に通ったのか、この一発で撃ちとめることができた。
 猟師は木を降り、人夫を雇って猪を担わせて帰った。

 皮を剥ぐなどしてみると、白く生え立った毛は針に似ていて、皮肉の間に今まで撃ち込まれた弾が百あまりあった。ことごとく砕けて平たくなり、丸いままの弾はなかった。
 皮の厚さは二寸ほどもあった。
あやしい古典文学 No.1569