中村満重『向燈賭話』巻之五「亡霊、女の家に来る」より

お梅に逢いたい

 武州川崎宿の近くに、一寺がある。寺の名は、はばかりがあるので記さない。
 そこの住職の僧は四十歳くらいになっていたが、離れがたいのは色欲というもので、品川宿の某遊女屋の梅という抱え女にもう何年も馴染み、深い仲になっていた。
 ところが、僧はいつしか労咳を病み、さまざまな医術をもってしても効果がなくて、ひどく憔悴し、恢復の見込みはないように見えた。
 それほどの大病の身でも、梅への愛着はやまなかった。幼少のころから召し使う何助とかいう下僕がいて、品川通いの供に連れて行く関係で梅のこともよく知っているので、その者を病床に招き、梅の噂ばかり明け暮れ語った。

 ある日、その寺の十二三歳の小僧が、煎じた薬を茶碗に入れて病床に持って行った。
 住職の僧は茶碗を取って、一口飲んだ。すると、どうしたことか顔色が一変して、目を剥き、拳を握りしめ、屏風に向かってクワ−ッ!と息を吹きかけた。
 息の内から径一寸ばかりの赤い玉が現れ出て、屏風の上へ上ろうとしては畳に下り、また上ろうとしては下り、二度三度と繰り返すのを見て、小僧は震えおののいて逃げ帰り、かの何助に、目撃したことを語った。
 何助が戸の隙間から覗いてみると、玉は部屋の中をあっちへこっちへと飛び回っていた。やがて障子の少し破れたところから築山のある庭へ出て、そのままどこかへ飛び去った。これは間違いなく、魂が抜け出たものであろう。
 魂の抜けた僧は、寝間着姿で立ち上がり、一重帯をだらしなく結び、蓄えた金子を懐中に入れて寺を忍び出た。門前で酒商売をする者が出逢ったが、たしかに住職の僧だと思いながら、瀕死の重病人がよもや夜分に出歩きはすまいと考え直して、声もかけなかった。後に、「さては病気に狂乱して、さまよい歩いていたのか」と人に語ったそうだ。
 その夜、僧は何者かに縊り殺され、衣類を残らず剥ぎ取られた死骸は、そこらの畑に投げ込まれた。
 近所に僧の縁者がいて、顔を見て分かったから、すぐに人を遣って寺に知らせた。
 寺は驚き慌て、死骸を引き取って葬ったが、悪所通いの放蕩が知れるのを厭うて、表向きには「病に犯され、乱心して迷い出た」とだけ言って、殺害は近辺の駕籠かきの犯行と知りながら、詮議もせずに済ました。

 しかるに、ひとつ不思議なことがあった。
 同じ夜、品川の梅のところには、宵から連れ立って来た客があって、二階の座敷で賑やかに騒いだ。珍しい座興や小唄が面白く、梅は宴席を立ちかねていた。
 そんなとき、かの僧が店先にやって来た。長いこと剃らない頭毛が山伏のごとく生い茂り、姿はあくまで憔悴し、よろけながら店先に腰をかけた。
 下男が出て、挨拶するとともに、階段の下から梅をせわしなく呼んだ。何事かと急いで下りると、久しく来なかった恋しい男が、やつれきった姿で坐っている。切なさが胸にこみ上げ、
「逢いたかった…」
と縋りつくと、僧はそれを振り払うようにして店を出た。
「わたしのことを、つれない女とお恨みですか。色里に住む身がままならぬのは、御存知のことでしょうに」
と言いながら、あとを追って駆け出たときには、もはやその人の影もない。
「もしや隣家へいらっしゃったのか。久しく途絶えた情の架け橋を渡ろうともせず、お帰りになる心が恨めしい」
 梅は泣きながら、人にも頼んで捜しまわったが、行方は知れなかった。
 後に「その夜に死んだ」と聞いて、たいそう驚き恐れた。我が身の罪障も思いやられて悲しく、勤めの間々に法花首題を書き写し、かの僧の成仏を祈って池上本門寺の祖師堂に納めたという。

「愛執の念ほど恐ろしいものはない」と、梅の客だった人が語った。
あやしい古典文学 No.1570