中村満重『続向燈吐話』巻之四「御朱印婆の事」より

御朱印婆

 いつごろのことだろうか、御上の御朱印と諸役人の花押のある御触書および関所通行手形を所持した六十ばかりの婆が、越後国に来た。
 『この者の孫、冬松という幼童が行方知れずになった。迷子の冬松を探して旅をしているゆえ、一切の便宜をはかるべし』とのことで、宿場ごとの馬継ぎ場はあれこれ奔走して婆を大切にした。通り道に盛り砂を敷き並べ、御用人足として村じゅうの百姓が公役に出て次の村へ送った。「御朱印婆」と呼ばれ、はなはだ尊敬されたのだった。
 この婆は、馬・駕籠ならびに犬が嫌いだった。それで人に背負われて行ったが、ちょっとでも犬らしいものを見ると、背を縮め、手足をばたばたさせて恐れた。それで、「犬追い」として一人が杖を携えて先に立ち、犬を払いながら進んだ。
 『今日はここの泊まり、明日はあの村で昼休み、その次の日はかの宿…』などと、御上使巡見の往来と同様で、越後じゅうが騒動となった。

 ところが、同国内の堀式部の領地では、役人が婆の通るのを阻んだ。
「御朱印を頂いているとのことだが、このような場合、先だって代官所か諸役所の内触れがあるのが決まりである。このたびはそれがないので、領分の内に一足も入ってはならない」
 そう言って、境界から追い立てたので、婆は大いに怒った。
「国じゅうどこでも御朱印を拝見して疑心なく当所まで送って来たのに、式部殿領分のみが異議を申すのは、不届きというもの。江戸へ帰ったら、このことを言上し、いずれ思い知らせてやる」
 罵り騒いだけれども、どうにもならず、道を引き返して、またほかの村へ送られた。
 その途中、急に、
「便所に行きたい」
と言って、とある百姓家の前で下りた。
 いつも便所へは人を連れず、一人で行く。このときも一人で行ったところ、その家の飼い犬が、便所の裏から壁を破って飛び込んで、吠えかかった。
 アッ! というが遠く聞こえたから、
「大変だ。御朱印婆に怪我などあっては、ただでは済まない」
と、居合わせた百姓・人足どもは慌て騒いた。大勢が駆けつけて便所を取り囲み、のぞき見ると、大きな狸の喉笛に、犬が食らいついていた。引き離したが、もはや狸は死んでいた。
 婆の衣類と見えていたのは、青木の葉だった。御朱印や諸役所の印のある書類は、檜の皮などだったという。

「それにしてもこの狸、どういうわけで偽御朱印を持って国じゅうを回ったのだろう」
 人々が疑問を抱いて調べたところ、
「その年の一月下旬に、山里の百姓が木こりに出て、狸の子を捕まえた。祝い月だからと、家族にも知らせず秘かに煮て食ったのだが、子狸の親はそんなこととは知らず、迷子になったと思って、婆に化けて尋ね歩いたのだと思われる」
と、ある人が語った。
あやしい古典文学 No.1588