『西播怪談実記』巻三「姫路を乗物にて通りし狐の事」より

姫路を乗物で通ったもの

 正徳年間の初めの頃のことだ。
 姫路の町役衆のところへ、一通の先触れが届いた。
「このたび御典薬の木下雲庵が、肥前国長崎へ薬草御改めの御用にて差し遣わされる。御朱印状に人足四名とあるので、往来の宿場はその人数を滞りなく用意するように。正徳二年三月」
 包紙の上に「御証文之写」とあった。また、ほかに一通があり、その文には、
「覚。このたび木下雲庵が薬草御改めの御用にて長崎へまかり越すにつき、宿継人足四人を下された。各宿場は滞りなく差し出すように。以上。木下雲庵内 山本伴八」
とあった。
 これらの触書を受け取ったので、宿役の者は人足を用意した。その翌日、木下雲庵の一行が姫路を通った。
 美麗な乗物に乗っているのは、五十歳ばかりに見える有髪の医者だった。乗物の中で巻台(けんだい)に向かう顔つきは、よく整って立派だった。供回りは、若党・草履取り・長刀持ちの三人で、挟箱には「御用」と書いた札を立て、西隣の正条宿へ向かった。

 三日後、また一通の触書が届いた。その文には、
「先般、薬草御改め御用として医師一人ならびに従者三人が肥前国長崎へ下り、宿々は御朱印状により人足を出したと聞くが、追々吟味するに、この一行は狐で、宿々をたぶらかして通ったと見受けられる。その者どもが帰路にまた通ったら捕らえて縛り上げ、地元の裁量でいかようにも処断すべし」
とあった。
 これを聞いて人々は手を打って納得したが、後に聞けば、この行列の騒ぎは播州だけのことで、後から来た触書も狐の仕業であったという。そういえば、触れ出しも触れ留めもなかった。人々は二度までも騙され、ただ呆気にとられるばかりだった。
あやしい古典文学 No.1590