三坂春編『老媼茶話』巻之三「幽霊」より

乳母の幽霊

 会津の融通寺町に、浄土宗の古館山城安寺がある。そこに、女の幽霊の写し絵がある。
 幽霊は、蒲生秀行の乳母だ。

 この絵が描かれた当時、城安寺は住職がおらず、覚夢という留守居の僧がいるばかりだった。秀行の乳母はこの留守僧の縁者だったのか、かねてより自分の葬儀の導師を覚夢に依頼していた。
 しかるに、乳母は人の讒言によって秀行の母君の憎しみを蒙り、身に覚えのない罪に問われて申し開きできないまま、ついに自刃するにいたった。
 「遺骸は火葬にすべし。今夕、棺を寺へ送る」と寺に伝えられたが、そもそも覚夢は読み書きのまったくできない愚僧で、引導の仕方など知らないから、困ってしまった。
 火葬の時刻は午後九時とのことだったが、日中から仏壇が鳴り響いて物凄く、空も異様にかき曇って風が吹き、小雨も降りだして不穏な気配となった。覚夢は寺にいたたまれず、以前から仲良くしている桂林町の九郎右衛門という絵師の家に足を運んで、事の次第を話した。
 九郎右衛門はそのころ、金輪組という任侠仲間の一員でもあった。話を聞くと、
「まったく今日の空模様は不気味だ。必ずや今晩の葬儀で、怪事があるにちがいない。引導は、口の中で経文らしきことを呟き、そのあと念仏を唱えれば済む。わしもおぬしと一緒に棺を離れず立ち添って、火車が来て死骸を掴み去ろうとしたら抜刀して切り払い、決して寄せつけまい。藁と柴に油を多く注ぎ、たとえ大雨が降っても火が消えないようにしよう。さあ、急いで戻って、葬礼の準備をするのだ」
と言って、覚夢と連れ立って寺へ行き、日暮れをを待った。
 棺が着いたとき、にわかに大雨になった。風が吹き荒れるなか稲妻が間断なく閃き、空は墨を摺ったように真黒になって、凄まじいこと限りなかった。
 運んできた者たちは、すでに黒雲が棺に覆いかかり、雷鳴響きわたり、降りつける大雨に数ある提灯もみな消えてしまったので、棺を寺の前に打ち捨てて、一人残らず逃げ失せた。
 僧衣の覚夢は素早く襷がけとなり、棺に乗りかかって、大声で念仏を唱え続けた。九郎右衛門はもろはだ脱ぎとなり、これも棺に寄りかかって、渦巻く黒雲を大脇差でひたすら打ち払った。
 そうするうち、黒雲は次第に遠ざかって、雨風もやんだ。そこで藁・薪の上に棺を据えて、引導もせず火をかけると、猛火が燃えさかり、死骸を焼き尽くした。夜明けに白骨を拾い、寺の北西の隅の大きな榎の下に埋めた。
 その一日後から、乳母の幽霊が、夜となく昼となく寺の中を迷い歩くようになった。覚夢からそのことを聞いた九郎右衛門は、ひそかに寺に足を運び、物陰から覗き見て、幽霊の写し絵を描いたという。
 やがて年月が過ぎ、その幽霊も出なくなった。

 この寺では、昔から怪事があった。
 ある男が夜更けに雪隠に行ったら、雪隠の中から一ツ目入道がぬっと出て、やにわに突き倒したので、男は気絶してしまった。
 今も北西の角の榎の下で、禿(かぶろ)・古入道の類を見ることがたびたびある。
あやしい古典文学 No.1592