森田盛昌『続咄随筆』下「高山氏産婦の怪」より

産婦の怪

 元文元年八月二十三日のことだ。
 高山氏の妾は、二十四歳にして懐妊して、すでに十一カ月になり、腹痛があっていよいよ出産の兆しと見えた。
 これにより産婆および医師の魚住道徹を呼んだ。ところが、産婆らがまだ来ない午後四時ごろ、産婦は忽然と姿を消した。
 家じゅう大騒ぎとなり、手分けして捜索したが、母屋では見つからなかった。日が落ちてから、行燈を持って土蔵を調べた。一階にはいなかったが、二階から人の苦しむような声が聞こえたので、何だろうと上って見たら、かの産婦が器物に埋もれるように倒れていた。
 意識が朦朧としているようなので、薬など与えて介抱した。やがて正気づき、言うことには、
「安産して男子を得たのに、どこからともなく『この子は貰っていく』という声がして…。そのあとのことは覚えていません」と。
 ともかくも母屋の居間へ連れ帰ったとき、ちょうどやって来た産婆が様子を診て、
「昨日までの妊娠した母体とは全然違って、普通の女と同じじゃ」
と言うのだが、出産した形跡はいささかもなく、衣類に血もついていない。胎児ごと産気が散り失せたとしか言いようがない。
 この日は昼も夜も風雨が激しかったのに、土蔵まで外を行ったはずの産婦の着物は少しも濡れず、手足に泥の汚れもなかった。まことに怪しい次第なので、医師の道徹は診察を断り、薬も用いなかった。

 このこと、世間の風説だけでは信じがたいので、高山氏の婿である斎藤氏に真偽を尋ねたところ、まことの話で、江戸詰めの高山氏にも知らせを遣ったとのことだった。
 李時珍『本草綱目』の「人傀」の条には、古今のさまざまな異産の記載がある。しかしこの場合は、ただ異産だというだけでなく、産婦が土蔵の二階に至ったこともまた奇怪なのである。
あやしい古典文学 No.1596