平尾魯遷『谷の響』四之巻「水かけ虫」より

水かけ虫

 「水かけ虫」は、深山の渓谷に時々いる虫である。髪の毛のような形態で、長さは六七寸あるいは八九寸、色は薄赤く、動きは緩慢だという。
 この虫はまた、鱈(たら)の肉の中にもまれに見つかる。やはり髪の毛みたいな形だが、渓谷のものより赤みが濃く、長さは三寸ばかりだ。
 いずれも大毒があって人を害するというから、よく気をつけなければならない。

 文政の昔、紺屋町の新割町に住む三上の隠居という人が、ある日、風呂に入って喉が渇いたからと、水を汲んでもらって飲んだら、口の中に髪の毛があるような気がした。
 水を吐くと、たしかに髪の毛のようなものが出たが、妙に滑らかな感じなので、掌に取り上げてつらつら見た。するとそのものは、たいそう緩やかにぬめり動いていた。
 隠居は、「これこそ水かけ虫というやつだろう」と家人にも見せて、恐れあったという。
 このことから考えると、大毒の虫は井戸の中にもいるらしい。水は濾して用いるべきである。
あやしい古典文学 No.1601