進藤寿伯『近世風聞・耳の垢』より

おそろしや

 安政二年九月ごろ、松本玄順老人より届いた書面の内容。
     *
 安芸国豊田郡代官所の役人で永浜修助という人が、私 玄順にじかに話したことです。
 彼が当八月、御手洗へ役用で赴いたところ、同所村役人どもが言うことには、
「先日、公儀御用船が長崎から御用物を積んで江戸に上る途中、しばらく当地に滞留して、顔なじみとなり、御用物も見せてもらいました。これまで日本になかった大砲がありまして、その砲身の径は釣鐘ほどあるように見えました。ほかに剣付鉄砲多数、槍の柄になりそうな木材も数々ありました。
 また、公儀の人の話では、先ごろロシアから幾枚もの大毛氈が献上されたので、江戸城の各部屋に合わせてみたところ、たとえば唐草の間なら唐草模様、松の間なら松の模様というようにふさわしい模様があり、間ごとの寸法もぴったり合っていたそうで、将軍様もはなはだ不快に思召されたとのことです」と。
 ロシア人が、日本の地理どころか、大将のお城の部屋の寸法まで承知しているらしいのは、不気味千万でございます。
あやしい古典文学 No.1606