森田盛昌『続咄随筆』中「宝円寺舜庵和尚異変」より

豆の飯の迷走

 寛延四年三月、曹洞宗宝円寺の舜庵和尚が隠居して、石川郡月橋村の山手の庵に移った。
 小僧を一人召し使っていたが、ある日の夕暮れ、その小僧に、
「わしは宝円寺に用事があって出かける。そのほうは留守番をせよ。いつも来る月橋村の又兵衛を連れにするから、呼びに行ってくれ」
と言った。
 しかし呼びに行くまでもなく、ちょうど又兵衛が来たので、すぐに二人で出かけた。

 翌日、村の者が、
「少しばかりですが、供養に」
と、豆の飯を持ってきた。
「和尚が帰られしだい、お供えします」
 小僧が受け取って後、宝円寺から、舜庵和尚の使いが来た。『豆の飯を使いに渡すように』とのことだったので、何の疑いもなく渡した。

 三四日過ぎて、舜庵和尚が帰ってきた。
「わしは京都へ行った」
と言うので、小僧は不審に思って、
「でも、お出かけの翌日、使いの人をよこしたではありませんか。豆の飯も、その宝円寺の人に渡しましたよ」
と言い返した。
「いや、そんなはずはない」
 和尚は又兵衛を呼び、
「わしは、そのほうを連れて京都見物をしたよな。豆の飯も、わしが大津の茶屋で食ったとき、そのほうにも分けてやった。覚えておろう。そのほうは上方を見たこと、覚えがないか」
と尋ねた。
 又兵衛が、
「はあ…、しっかりとは覚えていませんが、なるほど、そうおっしゃると、上方を一見し、豆の飯を食べたこと、夢うつつのように覚えがあります」
と答えると、和尚は呆然として黙り込んだ。
あやしい古典文学 No.1608