木室卯雲『奇異珍事録』二巻「血気」より

若い力

 人が若いうちは、その元気によって、失せ物が戻ることがある。老いると何事も衰えて、物を失くせばそれきりだ。

 筆者は若いころ番町に住んでいて、赤坂円通寺前の森川主水という人のところへ、折々夜話に行った。
 ある時、川勝左京、小林源右衛門らと連れ立って森川宅へ行き、帰りは夜半になった。五月雨の時季で、ぬかるんで歩きにくい道を麹町獣物店の前まで来たとき、筆者は、持扇が腰にないのに気づいた。森川宅を出るときには、たしかに腰に挟んでいたから、途中で落としたと思われた。
 その扇は、地紙は渋紙、親骨を黒漆で塗った薩摩扇で、扇面に牡丹花を描いて大変愛用していた。
「落としたところは、遠くはあるまい。引き返して拾うよ」
と言うと、同行の人々は、
「こう暗くては見えまい。提灯を持っていけ」
と勧めた。
「いや、それではおぬしらが道々暗くて困るだろう。我は物好きで引き返すのだから、気にしないでくれ」
と言って別れ、一町ほど戻った紀伊殿屋敷達磨門のあたりで、
「ここらへんに有るのじゃないか」
と道にかがみ、手探りした。すると落とした扇が手に触れたので、それを拾って帰った。

 そのずっと後だが、我が子の庄三郎が、高田馬場へ大的(おおまと)の稽古に行って、小刀を落としたことがあった。
 夜になって、市ヶ谷佐内坂まで帰ってきたところで、小刀がないのに気づき、高田馬場まで探しに戻った。その小刀は、小柄が銀で龍の彫り物があり、家代々のものとして大切にしていたから、庄三郎も驚き慌てたことだろう。
 小刀は、小柄が銀なのでほのかな月光を映し、高田馬場の芝の中で光っていた。庄三郎はそれを拾って帰った。今もなお家にある。
あやしい古典文学 No.1609