『天文雑説』巻第八「依酒狂害人事」より

酒狂殺人

 老若にかかわらず男と生まれたからには、夜道を歩くにあたって、相応の心構えがなければならない。酒など多く飲んだ時は、しばらく酔いを醒まして、正気になってから歩むべきである。夜、酒を過ごして失敗する例を、近ごろ多く見かける。

 佐々木某とかいう人の若党は、普段は心静かな者で、朋友と付き合って嫌われず、主人へも朝夕私心なく仕えていた。
 ところが、大永五年の秋の頃、ある暗い夜のこと、親しい人の家で大酒を飲んで、大声で話などしているうち、ふと立ち上がって外へ出た。
 その家の亭主は、
「もうしばらく話してから帰りたまえ。人に送らせよう。見ればそなたは、顔色も変わって蒼ざめているぞ。しばらく酒を醒ましたまえ」
と止めたが、
「なあに平気だ。真っ暗な夜に強盗に遭ったという話は聞かない。そのうえ武家奉公の身は、日夜の区別なく奔走するのが、天下の習いだ」
ときっぱり言って歩みだすので、亭主もどうしようもなく、別れの挨拶をして内へ入った。

 若党は、道を二三町ばかり行くうちに、前後も見えない暗い夜ゆえ、あっちこっちと物にぶち当たり、町境の木戸を通ろうと、
「夜番はいるか」
と呼ばわると、
「ここにおりまする」
とかしこまって出てきたのを、刀を抜いて理由もなく一打ちに斬り殺した。夜更けのことだから誰か聞きつける人もなく、番人も二声と立てず即死したから、町の者も知らずにいた。
 また次の町境まで行って、
「番人はいるか」
と呼び、
「ここにおります」
とかしこまって出てきたところを、また斬り殺した。
 このように町々で番人を殺して、ついに二十人にも及んだが、誰も気がつかなかった。番人が若党を奉行所の者と思って平伏したところを、直ちに殺したと見える。
 厳重に閉ざしたある町の木戸に至って、激しく扉を叩き続け、
「ここを開けよ」
と言うのを番人が聞きつけ、内から覗き見ると、生臭いにおいを漂わせていて、尋常の者とは思えない。
「どなたでいらっしゃるか。姓名を承って開けまする」
「憎い返答をするやつ。往来を塞ぐばかりか、姓名を問うとは、この曲者め」
 若党は持った刀を取り直し、さんざん扉に斬りつけた。
 番人はいよいよ開けることなく、あたりの人々を叩き起こし、大勢でかかってついに若党を縛り上げた。若党は、多くの人を斬って精魂尽きたのか、そのまま死んでしまった。
 町人どもが支配の武士に届け出ると、
「狂人であろう。法に背いて狼藉に及ぶ輩だから、殺したとて少しも差し支えない」
とのことだったので、安心して皆帰っていった。
 さて、夜が明けてみれば、隣の町で門番が斬られたと騒ぎ、その向こうの門番も殺されたと町ごとに言い合い、都合二十人。まことに前代未聞の事件となった。

 この狂気、時がいたって自然に発したともいえるが、そのもとは酒である。
 あれこれ考えてみるに、結局のところ夜の大酒はなすべきでない。昼であっても、乱酔するほどに呑むのは、まったく酒に呑まれたようなものである。
あやしい古典文学 No.1610