森田盛昌『咄随筆』上「しれぬ玉子」より

屋根裏の卵

 宝永五年の春、中西摩兵衛安純宅で、薪などを蓄えておく屋根裏に、何鳥の卵なのか知れないが、卵が幾つもあるのが見つかった。
 ちょうど戸倉元真が来合わせていて、
「これは目出たいことですぞ。お祝いをなさいませ」
と勧めたので、急いで小豆飯などこしらえて、卵は吸い物にし、みな打ち寄って祝い事をした。
 その年の九月、摩兵衛の妻が死んだ。

 なお、今の当主の摩兵衛安栄の話では、今年の夏、庭の池に鮒が泳いでいた。
 自宅の泉水に鮒を放した覚えはなく、不審であったが、とにかく目出たいことだと、やはり小豆飯などこしらえて祝ったのだそうだ。
あやしい古典文学 No.1619