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森田盛昌『咄随筆』上「与所の門松」より |
よその門松 |
享保九年正月元旦に、岩倉弥右衛門宅の門前に、立てた覚えのない門松が立っていた。昨夜通った人々の中にわるさ好きな者がいて、よその門松を取ってきて立てたのだろうと思われた。 とにもかくにも取り入れて、目出たいものだからと、門内に立てておいた。 幾日か後、出口宇兵衛が年始の挨拶に来て、 「これはなるほど吉相です。なぜかというに、当正月元旦に、長谷川久弥方にも知らない門松が立っていた。目出たいことだと取り入れて、雑煮の火に焚いたところ、江戸において、主人の奥村長左衛門殿より、久弥の六十歳の祝いに小袖一つを下された。思いもしないかたじけない仕儀です。そんな吉事が春の初めからあったのですから、この門松も焚き木にしたらいいでしょう」 と言うので、そのとおりにした。 その年の三月、岩倉弥右衛門は門内で転んだ。左の手をことのほか傷め、月を越えても治らず、五月に病死した。 また長谷川久弥のほうは、婿養子の長谷川喜六が四月に江戸で病死したのみならず、喜六の妻である久弥の娘も、ふた月後の六月に患って死んだ。 諺に「好事もなきにはしかず」というが、そのとおりだ。 |
あやしい古典文学 No.1620 |
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