大郷信斎『道聴塗説』第十編「濃州の仙女」より

美濃山中の仙女

 尾張藩の儒学者 秦鼎からの九月四日付の手紙に、次のように記されていた。

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 今年は雨が多く、美濃では前月十四日夜に水害が起こり、長良川がとりわけ氾濫した。尾張領でも堤防が三十間にわたり決壊し、溺死者が今知る限りで百人ばかり。いずれ二百人を超え、最終的には八百人とも千人ともいい、その悲惨さは言いようがない。

 さて、災害のさなかながら、大垣領か、北美濃の越前との国境か、そのあたりの根尾野村というところの山中に、仙女が住んでおることが分かった。
 はじめは斉藤道三の娘との話だったが、そうではなく、越前の朝倉家の家臣の妻が、朝倉没落の時に懐妊の身で山中に逃れ、出産した女子のようだ。
 女子は隠れ潜んだ洞穴の中で成長し、今年ニ百六十歳くらい。しかし、容貌は四十歳の人に見えるらしい。髪は棕櫚の毛のようだなどともいう。
 いずれ写し絵が届くまで、詳細は分かりかねる。このたびの水害で途中が危険なため、見に行こうとする者もいない。とにかく奇事である。
あやしい古典文学 No.1625