北條団水『一夜船』巻之一「御慇懃なる幽霊」より

袴幽霊

 二条の何某という人が越中守のとき、主人がたて続けに横死して「化物屋敷」と呼ばれ、今は住む人もない屋敷があった。
 勝浦彦五郎という者がそこを所望して住んだところ、世に取り沙汰されるとおり、毎夜、庭の植え込みのあたりに現れるものがある。
 それは袴を着した男で、さして人を警戒する様子もなく、怪しげな格好で徘徊している。袴幽霊と名づけられているらしいが、なるほどと思われた。
「何者だ」
と声をかけると、ふと姿が見えなくなる。そんなことが何度も続いた。

 ある夜、春雨が降り続いて物寂しく、物みな朧に沈む景色を見ようと雨戸を開け、季節の移ろいに思いを寄せるとき、かの男が築山に佇んでいるのが見えた。
 彦五郎はただちに言葉をかけた。
「おまえのことは、かねて聞き及んでいる。この屋敷に住まわせる以上、家来同然に思うゆえ、少しも遠慮はいらない。今夜はことのほか退屈しているから、中に入って相手をしてくれ」
 すると男は、
「承知いたしました
と、遠慮なく座敷に上がった。近くで見れば男ぶりの爽やかな三十歳くらいの者で、尾も見えず毛も生えておらず、尋常の人間に変わるところはない。
「初対面ながら、按摩をしてくれないか」
 彦五郎が頼むと、気軽に後ろに回り、手慣れた様子で療治する。それはいまだ経験したことのない気持ちのよい按摩だった。
「それはそうと、おまえの正体はいったい何だ。ありのままに打ち明けたうえで、今後は毎夜心安く出入りしてくれ」
と言うと、男は次のように語った。
「いえ、このお屋敷に出るのは今宵かぎりです。そもそも拙者は、ここの三代前の主人 福見弥藤太の家来で、可右衛門(べくえもん)という者です。
 あるとき主人は、朋輩の娘が美形と聞いて妻に貰いたいと申し入れたものの、相手は同意しませんでした。主人は怨みを抱いて、ついに朋輩を闇討ちにしたのです。そして、ただ一人真相を知る拙者も、『信ずるに足らぬ下郎』と思った主人により、ゆえなく手討にあって果てました。あまりの非道、怨んでも怨み足りません。その一念が世に残り、弥藤太を殺し、その子も殺し、孫は江州におりましたが、今宵、矢橋の渡しで丸木舟を沈めまして、乗り手は七人が助かり、三人が溺死、三人の内の一人が弥藤太の孫であります。
 これにより仇の血筋を絶ち、いまや何を怨みようもありません。思うに迷魂は火のようなもの、妄執は油のようなもので、油が尽きて火が消えるように、妄執晴れて怨むべきものがない今、袴幽霊の形ももう生じません。ちなみに袴を着た幽霊であったのは、手討にあったとき袴を着ていたためです。…」
 彦五郎は話を聞きながらうとうとしていたが、
「では、おいとまいたします」
という言葉に振り返ると、もはや消え失せていた。
 その翌夜から、幽霊は二度と来なかった。

 彦五郎は不思議に思って、江州の噂を尋ねたところ、幽霊が語ったのと同月同日に、矢橋の渡しで三人が溺れ死んだという。まさに弥藤太の孫まで取り殺したのである。
 善悪の因果が長く子孫にまで及んで業を果たす例は、昔からあまたある。一念五百生…、なんと恐ろしいことではないか。
あやしい古典文学 No.1631