北條団水『一夜船』巻之三「手柄話しは身の怨」より

手柄話

 その昔、簑島殿の姫は姿かたち美しく、心も優しく育って、齢十三の春、三位中将殿へ御輿入れと定まって、家中こぞって喜んでいた。
 ところが、思いがけず姫は病みついて、療治に手をつくすも、いっこうに効き目がなかった。詳細は深く隠されていたが、「離魂病」という世に稀有な奇病で、俗に「かげの煩い」というものだった。
 病が本復しなければ、中将殿への輿入れもならず、家の面目も丸潰れとなる。宿老 神南備幸右衛門はさまざまに思いを巡らし、彦山の山伏で勝鬼坊(しょうきぼう)という名高い験者を招いた。
 勝鬼坊は、十七日にわたる加持の行法を心を込めて執り行った。それゆえ、奇病はたちまち本復して、簑島殿は言うまでもなく、幸右衛門の喜びもひとしおであった。

 手厚い礼物を頂戴して彦山に帰るにあたって、勝鬼坊が幸右衛門宅を暇乞いに訪れると、幸右衛門はまず、
「このたびは、修験のめざましい力に感服いたした。この先も姫が病に悩むことのないよう、くれぐれも頼み入る」
と挨拶したうえで、
「ところで離魂病のことだが、話には聞くものの、目に見るのは初めてだ。このような類は、世に折々あることであろうか」
と尋ねた。
「さよう、天地造化の変はさまざまで、とてもわが見識では計りがたいが、この病について言うと、さほど不思議なものではありません。『博物志』という書には、南方に尸頭蛮といって、夜ごと人の首が胴から抜け出て、耳を翼として飛ぶこと鳥の如し、と書かれており、また『捜神記』にも女の首が飛ぶ記事がある。このごろ『輟耕録』を見たら、陳孚という者の『南蛮紀行』の詩に、首の飛ぶこと轆轤の如し、鼻の吸うこと鯛に似たり、などとあるので、中国ではさほど珍しくないとみえます。
 とはいえ、医書の奇病の部に載っているような病気は、滅多にないものなので不思議がられる。多くは書籍でのみ伝わって、実際に眼前に見ることは少ない。しかるに拙僧は、ある年、肥後国裸島に行って、錣村の奥原休蔵の家に一宿したとき、真夜中、休蔵の妻の首が抜け、白い糸を引いて窓から出てどこかへ行ってしまうのを見た。明け方、首が帰ってきて、にっこり笑うようにしてもとの胴につながった。主人とは年来の友人ゆえ、密かに知らせてから、拙僧の加持を繰り返し試したところ、やがて怪しいことは起こらなくなった。どれほどの難病でも、この修験の力で治らないことはないのです」
 勝鬼坊が厳かな口調で語るのを、幸右衛門はつくづく感じ入った様子で聞いていた。その一方で、『この者は、姫の奇病も手柄話として、こんなふうに口外するかもしれない。そのとき当家の名を出すのは間違いない。この山伏は、殺してしまうしかない』と思い至った。
 ただちに彦山への帰り道で家来を待ち伏せさせ、遠矢で勝鬼坊を射殺させた。並々ならぬ験力の山伏であったが、武士の忠義の一念によって、命を落としたのだった。

 幸右衛門のはからいは、源平合戦のおりの藤戸の戦いで、佐々木盛綱が道案内の浦人を口封じのため殺害したのと同類のことと言える。
 その後、幸右衛門は密かに勝鬼坊の塚を築かせ、それとなく念仏供養もしたが、まことに「魂(たま)は天に帰り、魄(こだま)は地にとどまる」というとおり、時として塚の底から法螺貝の音が聞こえるのを、往来の旅人が怪しく思ったとのことだ。
あやしい古典文学 No.1632