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中西敬房『怪談見聞実記』巻之二「摂州天王寺辺の百姓、狐の怨にて迷惑せし事」より |
鴨料理 |
宝暦の中ごろのこと。 筆者は商用で大阪へ下り、おおかた片付いたので京都へ上ろうと、暮れ方、栴檀木橋(せんだんのきばし)から夜舟に乗った。 わずか一日とはいえ旅路だから、縁もゆかりもない他人同士が一つ舟に乗り合わせた仲間として寄り集った。頃は冬のさなかで夜の長い時節だから、宵から寝てもおられないと、四方山の話に花を咲かせたが、その中に摂州天王寺辺の百姓がいて、声高にこんなことを話した。 * このごろ、わが近在で変わった事件があった。 国分村の若者たちが野へ耕作に出ていると、狐が一匹、何かをくわえて出てきて、田畑の中を走っていく。 「そりゃ、狐だぞ」 と誰かが言うより早く、三四人が鋤鍬取って追い回すと、狐はうろたえてここかしこを跳び回る。その拍子にくわえたものを取り落として、そのまま逃げていった。 「何をくわえて来たのかな」 皆が近寄って見ると、雄の雉だった。若者たちは喜び、 「よい獲物が手に入った。今宵はくたびれ休めに、こいつで酒でも飲もうではないか」 と言って、集まる場所を決めた。 やがて耕作も終わって、おのおの自分の家に帰り、日が暮れるとすぐに申し合わせた家に寄り合った。酒やら葱やら買い調え、狐が落とした雉を取り出して羽を抜き、下準備もできた。 「さあ、鍋の下を焚きつけろ」 「味加減はわしが引き受けた」 「酒の燗をせい」 などと上を下への大騒ぎ。 「よし、いい味がついた。さあ、呑もう」 となって、手に手に茶碗をかかげ持ってはなみなみと酒を注いで、呑みつ喰らいつ騒ぎ立て、腹いっぱいになった。 若者たちは、 「今夜の振舞いの御主人は狐殿だ。いやはや思いがけない御馳走であったよ」 とおどけまじりに一礼して、満腹の腹をかかえて帰っていった。 それから十日あまり経って、いつものように野に出て耕作をしていると、またもや狐が出てきた。口に何かをくわえ、田の畔道を走っていく。一人が見つけて、 「また来たぞ」 と言うより早く、前にも狐を追い回した三四人が、また鋤鍬を取ってあっちへこっちへと追い回す。狐は前と同じようにくわえたものを落として逃げ失せた。 皆が集まって見ると、落としたのは青首の鴨だった。さっそく拾い上げて、 「これはまた寒中に何よりの好物。先にまさる獲物ではないか。今宵も集まって楽しもう」 と耕作もそこそこに終え、暮れるのを待ちかねて前回と同じ宿へ寄り合い、 「またもや狐殿のおもてなし。かさねがさねの御馳走だ」 などと言いながら、料理を手早く調えた。 「酒の燗もできた。始めよう」 前と同じく茶碗に酒を注いで、呑んだり食ったりで騒ぎ立て、酒宴も半ばを過ぎたころ、同じ村の百姓が一人、たまたま近くを通りかかった。 ことのほか賑やかなのを訝しんで内を覗き、 「何ごとかな」 と尋ねたところ、 「しかじかの次第で酒を呑んでおる。よいところに来られた。まずは一献…」 と勧められた。 「これは運のよいこと。ありがたい」 茶碗に受けて一杯呑んだところで、肴にと、食い残した葱と鴨を平皿に盛って出され、 「いちだんと御馳走だな。ではご相伴しよう」 と、まずは煮汁を一口吸ったが、ひどい味と悪臭がした。鴨と思われる肉を一口食ったら、風味があるどころか腹が受けつけず胸が悪くなり、ほとんど吐きそうになったのを、胸をさすってやっとのことで呑み下した。 「これは何の肉だ。鴨ではないぞ」 と言うと、若者たちは腹を立て、 「おぬしは鴨を食ったことがないのか。目の前で狐が落としたのを、我々が料理して二度までも食ったのだ。疑うなら、裏のごみ捨て場に羽も頭も捨ててあるから、行って見て来られよ」 と口々に、酔った勢いで声高に言い返した。 「そうだな。見届けて来よう」 松に火をともし、ごみ捨て場まで行ったが、羽も頭もどこにもない。やがて立ち帰って、 「羽と頭はなかったぞ。いよいよ合点がいかぬ」 と言うと、若者たちはなおさら腹を立てた。 「そんなことはない。我々と一緒に見に行こう」 そして連れ立って行き、ごみの下から取り出して、 「それ、このとおり」 と差し出したものをよくよく見れば、鴨ではなく、二歳くらいと思われる小児の頭部と体の骨であった。 百姓は、すっかり嫌な気分になった。 「やっぱり鴨ではなかった。これは子供の頭ではないか。よく見られよ」 若者どもも正気づいて見るほどに、なんとしたことか、小児の頭に違いない。 「さては以前の野狐めが、雉をとられた意趣返しに、死んだ子供をくわえてきて、我々を化かして食わせたのだな。おのれ、にっくき畜生め」 そうはいっても今さら仕方なく、互いに顔を見合わせて呆然としていたが、次第しだいに胸が悪くなり、えずくやらあげるやら、目も当てられない有様となった。 「毒消しはないか。薬をくれ」 と隣近所を駆け回り、やっと手に入れて与えたら、徐々に胸もおさまった。 百姓は若者たちに向かって、 「おまえたち、いかに若気の至りとはいえ、狐の雉を奪い取り、思うままに喰らったりするから、怨まれてこんな報いを受けたのだ。今後は重々慎むがよい」 と意見し、その夜のことは済んだ。 しかし誰が言うともなく、この事件の話は次第に広まって、あちこちでさかんに噂された。 そうして四五日ほど過ぎてから、三十歳あまりと思われる男が、鴨と思って小児を喰った若者の家にやって来た。 「わしは天王寺の傍らの非人小屋の者だ。二歳になる倅が重い疱瘡を病んで先日死去したゆえ、墓所に葬ったのだが、その墓があばかれて死骸もない。さては犬か狼が掘り出して喰らったものか。いよいよ可哀そうだと嘆いていたおり、このごろの噂によれば、思いがけないことに、あんたがたが倅を掘り出して、煮炊きして喰ったとのこと。いかに非人の子だからといって、掘り出して喰うとはあんまりだ。犬・狼にまさる酷い心根だ。このままでは済まさぬぞ」 さめざめと涙にくれながら責めたてる言葉は、もっとも至極なことだ。若者は、どうしたものかと大いに当惑しつつ、 「我らがわざとしたことではないのだ。かくかくしかじかの次第で、元は狐の仕業だから、どうか許されよ」 と言ったが、もとより聞き入れてはもらえない。 「狐がどうであれ、あんたらは、実際に我が子を喰らったのだ。そんな言い訳は通らない」 理詰めに言い込められ、返答のしようもなく、いろいろなだめて許しを乞うたが、相手はまるで合点せず、 「当地の庄屋へも訴える」 と、いちだんと話が難しくなる。 「とにかく明日まで待ってくれ。ほかの四人の者も呼んで話し合ったうえ、きちんと返答するから」 やっとのことで言いなだめ、非人に帰ってもらうことができた。 若者たちは急ぎ集まり、ほかに仲裁の頼めそうな百姓たち四五人も呼んで相談の末、なんとしても表沙汰にならぬよう内々で取り扱い、穏便に済まそうと決めた。 翌日になると、またかの非人がやって来た。 「返答を聞こう」 とせかすのに対し、若者たちの側は、まずもって相手の言い分をもっともだと聞き入れ、自分らの落ち度も認め、一生懸命に示談を求めた。 しかし非人は聞き入れず、恨みの数々を言いつのっては、悲嘆にくれる。これには大いに困惑しながらも、仲裁の百姓は、 「とにかく済んだことは取り返しがつかないから、どうかご容赦願いたい。もともと狐の仕業で、若い者たちの企んでしたことではない。どちらも不幸な目に遭ったのだ。このうえは、ただただ小児の跡を弔って、成仏を願われるのがなにより。おまえさまを侮るようで気が引けるが、弔い料を差し上げたい。これでどうか堪忍してもらいたい」 と、用意の金子を差し出した。しかし、非人は全く承知しない。 「わしは身分の賤しい者だが、言いがかりをつけて金子を強請ろうなとど思っていない。これはそっくりお返しする」 まったく受け取る気配がなかったが、人々が口々に、 「いや、まったく仰るとおりだ。しかしながら、この世を去った者があれば、その跡を弔うのがなにより大切。おまえさまにも用意があろうが、これは我らよりの寸志として、どうかどうか受け取られよ」 と説きつけると、非人もついに納得して、 「おのおのがたの気持ち、無下にするのもどうかと思われる。では金子を頂戴し、跡を弔ってやることとしよう。御厚志かたじけない。重ねてお礼申す」 と言って帰っていった。 一同ほっと安堵の息をつき、 「さてさて、骨を折らされたな。若い者たちはこれに懲りるがよい」 「野菜ならともかく、鴨など百姓の身分で喰らおうとするから、馬鹿な難儀にあうのだ」 などと、笑うやら同情するやら、あれこれ言い合って散会した。 |
あやしい古典文学 No.1634 |
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