長山盛晃『耳の垢』巻三十三より

武勇の人

 川村氏は、天明から文化ごろの久保田藩士である。

 天明五年は凶作により人民みな大いに困窮した年で、その七月はじめ、川村氏は秋田郡北部の在郷に出かけた。
 用件を済ませての帰り道、大久保村を出たあたりで日が暮れてきた。しかし、ほかに急ぎの用があったので、夜道もいとわず歩き続けた。
 そのうち、四五人の馬子たちと道連れになった。彼らは船越村・天王村・井川村の住人で、魚荷を馬で運んで賃銭を稼ぐ者だったが、そのうちの一人が言った。
「この先の中野村の端で、昨夜、馬子どもが追剥に遭い、荷を全部盗られたそうだ。この話、皆の者も聞いたか」
「確かなことは聞かないけれども、もっぱらの噂だな。うっかり忘れていた。早いうちに思い出したなら、今夜は来なかったものを」
「いやいや、我らばかりなら恐ろしいが、お侍の旦那が一緒だから、何も案ずることはない」
「たしかにそうだ。恐れることはない」
 この話に、川村氏も嬉しくなって、
「なに、盗賊の五人や十人出たとて物の数ではない。盗賊ども、出るがよい。痛い目に遭わせてやろう」
などと笑い、なごやかに言葉を交わすうち、盗賊が出たというあたりに至った。
 そのとき、前を行く馬子どもが、
「うわっ、盗賊が出ましたぁ」
と声をあげて、はやくも逃げ支度の様子となった。
 月明りにすかして向こうを見ると、四五人が何か長い棒のようなものを持って、松の木の陰から現れ、次第に近づいて来るようだ。
 川村氏は、ただちに魚荷の中から大きなタツという魚を掴み上げた。タツというのはサヨリに似た尖った形の魚だが、大きさはサヨリよりはるかに大きく、体長一メートル以上ある。これを振り回し、
「なんの、盗賊ども。一人も討ち漏らすものか」
と大声で呼ばわった。
 そしてタツを左右に振り立てながら駆けだすと、盗賊は何と思ったか、雲を霞と逃げ出し、樹の間に入って影も見えなくなった。
 馬子どもは、すっかり感心した。
「侍ほど恐ろしいものはない。魚を持って向かっていっても、盗賊はみな逃げてしまった」
 川村氏が、
「あの程度の者には、こんな魚で十分だよ」
と威張ると、皆いよいよ感嘆し、恐れ入った。

 これは川村氏の機転であって、『月夜とはいえ小暗い場所だから、よく夜に光るタツで盗賊の目を幻惑してやろう』と考えてのことである。案の定、タツを本物の刀と思い、逃げ失せてしまった。
 盗賊といっても、もともとの盗人ではなく、凶作のため津軽あたりから流亡してきた者なのだった。
あやしい古典文学 No.1645