『新御伽婢子』巻二「古蛛怪異」より

偽りの功名

 美濃国本巣というところの近辺に、道の左右に松の高木の生い茂ったところがある。そこを夜中に通る者は必ず死ぬというので、暮れて後に敢えて通る人はなかった。

 本巣に一人の浪人がいた。わけあって主家を離れ、しばらくこの地に居を置いていた。
 あるとき、浪人は下僕に、
「急用があって、おまえを今夜どこそこへ遣わす。早く行ってこい」
と命じた。
 主命だから拒むことができないが、下僕はたいそう臆病な生まれつきで、かの松原を通るのは、震えが止まらないほど恐ろしかった。かといって、迂回路はたいそう険しい山を越えるうえに、道のりが二里あまりも遠い。急用だというのに遅くなるのはまずい。『こうなったら命をかけるしかない』と思い、こわごわ松原にさしかかると、無我夢中で駆けだした。
 その道に、松と争うように生えた大きな榎木があった。下僕がその下を通るとき、何か知れないが黒くて丸い一尺あまりの物が、金属の湯沸かしのように光りながら、枝からするすると下りてきた。
 ただでさえ星さえ出ない暗闇に、雨もそぼ降る気味悪い夜だ。恐怖で立ちすくんだ下僕の目の前に忽然と、つややかな黒髪を垂らした丈七尺あまりの色白き女が、目鼻のない顔で現れた。
 女を一目見るなり、下僕はアッと叫んで、うつ伏せに倒れこんだ。

 浪人は、下僕の帰りが遅いのを不審に思った。
 ほかに人手もないので、みずから松明を持って捜しに行くと、下僕が木の下で気絶していた。驚いて水を注ぐなどして呼び起こすと、やがて蘇生し、だんだん人心地もついて、ことの次第を語った。
 さて、助け起こして連れ帰ろうとしたところ、下僕の身体の下に怪しいものがあった。火をかざしてよく見れば、物凄い大きさの、針のごとく毛の生えた蜘蛛の死骸だった。
 おそらく蜘蛛は、息を切らして走ってくる下僕を取って喰おうと木から下がったが、顔なし女に化けた途端に下僕が倒れ、その下敷きになってしまった。怪我の功名というものだ。長年、この松原に化生のものが棲んで人を取ると言われてきたが、正体はこの蜘蛛だったのだ。
 浪人は考えた。『あっぱれ我こそ化け蜘蛛を平らげたりと名乗りを上げ、勇猛の名を得て、今一度どこぞの大名に召し抱えられたいものだ。しかし下僕を生かしておいては、真相がばれてしまう。いっそのこと斬って捨てよう』。
 そこで、ひと思いに下僕の胸元を刺し通し、死骸を深く埋めた。蜘蛛を引きずって里に戻り、人々を呼び集めて手柄を語ると、皆びっくり仰天し、浪人は豪傑として称賛された。

 しかし、ほどなく里人の夢に、かの下僕が現れて語った。
「我は、しかじかの次第で、無惨に命を取られた。疑うならば、松原の松の根元を掘ってみよ」
 人々が集まって夢の話をするに、みな全く同じ夢を見たことが分かった。不思議に思って松原に行ってみたら、たしかに新たに埋めたらしい土がある。そこを掘ると下僕の死骸が出てきた。
 これによって、浪人は捕縛され、処刑された。
あやしい古典文学 No.1649