『新御伽婢子』巻二「水難毒蛇」より

半蛇の内介

 万治三年の五月ごろ、大雨が降り続き、やがて大洪水となった。国々のあちこちで田畑が水没し、民家が漂流し、親を失った子や子をなくした親は数知れなかった。
 京都の賀茂川でも、夜中、一軒の家が流されてきた。灯火をかかげながら、女・子供ははかない命の限りに泣き叫び、男は、
「助けてくれ。あんまり酷い。家が流されるばかりか、年老いた親や幼い子まで溺れ死ぬ。悲しや、情なや」
と大声をあげるが、暴れる濁流に舟も馬も入れられず、河伯・水神も頼れそうにない。人々は川岸に立って、涙ぐんで見送るしかなかった。
 そのほか、壊れた家の柱・桁・梁のたぐいが離れ離れに浮き沈みした。牛・馬・犬・猫などの獣は、逆巻く波に呑まれたが最後、万に一つも助かることはなかった。

 河内国の三固村というところに、内介という富裕の者が、田畑をたくさん持って住んでいたが、この洪水を心配して、田地の水際に木を横たえ、青竹を伏せて、厳重に水を防ぐ囲いをこしらえた。
 これほどの構えなら水難にも遭うまいと頼もしく思って見ていたが、降り続く豪雨に、川上からの波が日ごとに荒れまさり、危ういことこのうえない。
 そんなとき、不思議な白波の塊が現れ出た。水面より高く巻き上がること二丈あまり、あたかも雪山のようだ。波は、内介が命かけても守りたい良田の真ん中まで来ると、一転して打ち込むように渦巻いて泥をうがち、深い深い窪みを造った。そこへ後から後から水が押し寄せ、田畑はたちまち池と変じた。
 内介は、ああっ! と一声叫んで発狂し、そのまま池に飛び込んだ。形はなかば蛇身となり、首は波に見え隠れし、尾をもって岸を叩いて、しばし漂っていたが、やがて水底に没した。

 妻子は嘆いて、池のほとりに来ては涙に袖を濡らした。ある日、晩鐘を聞くころまで池を眺めていると、頭に角を生やし、剣のごとき牙を剥いた内介の頭が、水面に現れた。
 妻子は恐ろしいながらも嬉しくて、
「あっ、内介さん」
「お父さん」
と声をあげたが、たちまち迫りくる宵闇の中に消え失せた。
 それからのち今に至るまで、雨の降りしきる朝や霧に暗む夕刻には必ず、半身が蛇になった内介が水上に現れるのを、地元の人は見るとのことだ。
あやしい古典文学 No.1650