『文化秘筆』より

道連れ

 文化十一年三月初めのこと。
 柴井町あたりの小間物売りが、青山の方へ商いに行って暮れ方に帰るとき、宮様御門前を通ると、後ろから呼びかける者があった。
 振り返り見れば、二十歳ばかりの美しい女だった。
「私を呼んでいるのかい?」
「あなたよ。どこへ行くところ?」
「新橋の方へ帰るところだ」
「わたしも芝あたりへ行って、いま帰るところだけど、日が暮れてきて、女の身では心細い。ご一緒させてもらいたいの」
 小間物売りは、女の美しさに気を惹かれ、道連れになった。

 赤坂御門前で、女が、
「すごくおなかが空いちゃった。蕎麦を一杯おごってよ」
と言うので、食べさせてやり、さらに団子なども食べさせたりしながら、だんだんに行くと、赤坂田町あたりで、
「この近くに知り合いがあるから、ちょっと寄ってくる。すぐ戻るから、ここで待っていてね。また一緒に行きましょう」
と、ひとりで路地の奥へ向かった。
 なんだか気になって跡をつけると、一軒の家の戸を開け、中に入ったようだ。それから暫く待っていたが、いっこうに出てこない。
 そこで女が入ったらしい家の戸を開け、声をかけた。
「ごめんください。少し前この家へ入った二十歳くらいの女の人を、先刻より待っております。早く出てくるよう伝えてもらえませんか」
 すると、門番が出てきて、不審げに言った。
「おまえはここを、何処と心得るか。ここは何某と申す御方の表御門で、そのような女は参っておらぬ。見ればおまえ、あちこち傷ついて、血が出ておるぞ。口のまわりなど、傷だらけではないか……」
あやしい古典文学 No.1652