中村満重『続向燈吐話』巻之九「鰻、人を呼ぶ事」より

川の呼び声

 相模国の大山あたりに、小舟で川漁をする男があった。
 ある日、長さ四尺ばかりもあろうかという鰻を獲って、それでなくても獲物の多い日だったから、早めに帰ろうと舟を操った。
 そのとき、川下から大声で、
「太郎、太郎…」
と呼んだ。すると舟中から、
「おう、おう…」
と応える声があった。
 男は胆を潰し、大慌てで舟を漕いだが、なおも呼ぶ声はやまず、応える声はかの鰻が言っているのだった。
 恐ろしさは言いようもなく、鰻を川中へ投げ捨て、ほかの獲った魚もみな捨てて、必死に逃げ帰ったという。

「何ものが呼んだのかは分からない」
と、土地の者が語った。
あやしい古典文学 No.1653