古賀侗庵『今斉諧』続志「異火」より

異火

 土佐の山中に、雨が降るごとに出る異火がある。そもそもどこで生ずるのか、知る者はないという。
 形は極めて小さく、草の間に点々として、あたかも蛍火のようだ。
 人の声がすると、群れたかって来る。だから、この火を見かけたら、心を静め、口を閉ざして通り過ぎるのがよい。

 土地の少年数人が、ある夜、舟に乗って川を下りながら語り合った。
「俗に、異火は人の声に応じて飛んできて害をなす、などというが……」
「ああ。でも、随分ちっぽけな火だそうではないか。そんなものに、何ができるものか」
 そして面白半分に、一斉に声をあげて火を呼んだ。
 火はたちまち飛来して、舳先に群がり、大きな塊となって止まった。舟はその重さで沈みそうになった。
 驚いた船頭が、とっさに櫓で痛打すると、火塊は崩れて、船は軽くなった。火が水面に点々と散ったさまは、あたかも満天の星空のようだった。

 馬爪清平という侍は、神如寺門前へ夜釣りに行って、この火に遭遇した。
 火は傘の上に群がり、その重圧は堪えがたい。傘を傾けて落として、あやうく圧し潰されるのを免れた。

 和気翼は土佐の人だが、主君に従って江戸に来た。
 彼が郷里にいたころの、ある夜のこと。友人と城北の山へ遊びに行くと、この火が草の先にあって、いまだ消えない余燼のようにチロチロしているのを見た。
 「これは何か」と問おうとした彼の口を、友人が押さえたので、からくも声を出さずに済んだそうだ。
あやしい古典文学 No.1656