大郷信斎『道聴塗説』第九編「貧乏神の禿倉」より

貧乏神の祠

 福の神を祀るのは珍しくないが、小石川の牛天神に参詣したところ、傍らに「貧乏神の祠」というのがあった。
 これは何某とかいう御家人が、困窮のあまり自棄になって勧請したそうだ。ところが先ごろ、何者かが祠の御神体を盗み去った。それで、今は祠だけがむなしく破れ残っているのだ。

 これにつけて思い出したのは、天明年間、四方山人(よものさんじん)すなわち太田南畝が、窮鬼の像に付した画賛だ。窮鬼とは貧乏神のことである。

 おのれやれ富貴になさでおくべきか
  貧乏神の勅を背かば
あやしい古典文学 No.1657