木室卯雲『奇異珍事録』四巻「神罪」より

通う神

 京橋銀座二丁目に、保根屋吉左衛門という馬具商人がいた。
 元文のころ、吉左衛門は、新吉原江戸町玉屋の花紫と馴染みになって通いつめ、元文五年の春、揚屋の尾張屋の庭に「通う神」を勧請した。「通う神」とは道祖神のことだが、遊女が客に送る手紙の封じ目に、無事に届くことを祈って「通う神」と書いた。そこから、遊女界の恋路の神のようにも思われていたのである。

 同年の山王祭のとき、吉左衛門は自分の家に玉屋の遊女たちを呼び、派手に騒いだ。
 それが悪評として広まり、世間の手前、親類が相談して公儀に届け出のうえ、吉左衛門を座敷牢に入れた。そのころには少し狂気を帯び、刃物などを抜いて危なかったらしい。
 時を経て心が鎮まったようなので、また公儀に届け出て、座敷牢から出した。

 その後は、悪いことはしないけれども、魚屋や他の物売りを呼び止めては、荷を丸ごといくらでも買い取ったりした。
 また、妾をとっかえひっかえ幾人となく置いた。そのうえ、妾が病気になって、その親が芝毘沙門の護符を持ってくると、金百疋を与えた。翌日また護符を持ってきて、また金百疋を恵んだ。そんなことを半月ばかりも続けた。
 これは、正気で行ったことではない。まったく遊里に道祖神を勧請した不心得に対する神罰にちがいないと、世間は噂した。
あやしい古典文学 No.1658