只野真葛『奥州ばなし』「四倉龍燈」より

龍燈

 仙台藩士の橋本正左衛門という人が、龍ヶ崎の役人を勤めていたとき、御用金を携えて旅する任を受けたことがあった。
 海沿いの道を行って四倉という宿場に着いた。ここで人夫を継ぎ替えるはずが、手配が遅れて出発できない。この辺りでは物騒なことがあると聞いていたので、一刻も早く宿場を抜けたいと、苛立ってしきりに催促した。
 「急ぎの用事」と言い立て、夜道を行く人夫を求めたところ、駕籠人足ばかり出てきた。仕方がないから正左衛門だけ駕籠で先に行くことにし、養子の八弥に目配せして、用金の入った荷物を何気ないふうに置き残した。

「少しでも早く追いついてこい」
 そう言いつけられた八弥は、まだ十八歳の若輩の身で大事な荷物を預かり、心配でたまらない。宿場の者は、
「物騒な昨今のこと、夜道の荷運びは大変に危ない。今夜はどうか当宿で泊まって、明日早く出立なさいませ。人夫も怖がって、なかなか出揃いませんので」
と言うし、いよいよ気持ちが揺らいだが、『もし途中で何かあるとしても、おめおめ怖じ恐れて泊ったのでは、養父に言い訳が立たない』と心を奮い立たせた。
 荷物に腰を掛け、ひたすら人夫を急いで出すようせっついて、やっと夜十時ごろに出てきた馬子は、十二三歳の小娘二人だった。
 『これでは、まさかの時にかえって足手まといだ』と思うと、言いようもなく心細かったが、やむをえない。二人に馬を引かせて出発した。
 小娘たちの話によれば、物騒だという場所はまもなく行きかかる海辺で、背後は黒岩聳える大山、前は大海という人家の絶えた道の中ほど。そこに岩穴があって、盗賊三人が隠れている。昼間でも一人旅の者を捕らえ、身ぐるみ剥いで殺害し、死骸を海に投げ捨てるから、このごろは人通りも絶えてしまったという。
 八弥がいよいよ不安になったとき、はるか遠い海中から、径一尺あまりに見える火の玉のような光が現れ、暗い夜にもかかわらず足元の小貝まではっきり照らされて見えた。
 はっと驚き、
「なんだ、あれは」
と馬子に問うと、
「さあ…、ここは龍燈の上がる所と申しますから、おおかたそれでござりましょうか」
と、初めて見て怯えた様子である。それはそうだろう。十二三の小娘が、深夜にこんな荒磯を越えることが、何度もあろうはずもない。
 八弥も恐ろしく思ったが、ただでさえ震えながら馬を引いていく二人を、これ以上怖がらせまいと、しいて気丈に構えてみせた。
「盗人が住むという岩穴の近くに来たら、教えてくれ」
と言いつけておいたら、やがて小声で知らせた。
「このあたりですよ」
 八弥は『何者であれ、出てきたら一撃で斬り捨ててやる』と刀の鍔元をくつろげ、警戒怠りなく通っていった。
「今宵は留守でござりましょう。明かりが見えませんから」
 馬子がそう言っても、留守と見せかけて不意に出てくるかもと油断しなかったが、盗人の運が強かったか、八弥に首を斬られずに済んだようだ。
 海中からの怪しい光は、つごう三度も見えたという。

 一行は真夜中の三時過ぎに、次の宿場に着いた。
 正左衛門は、用金を若い者に預け置いたものの、こちらでも道が物騒な話を聞かされて、寝てはおられず、門のところに立って待っていた。近づいて来る影を見るやいなや、
「やれ八弥、無事に来られたか。無理な夜旅をさせて、大変な苦労をかけた」
と喜びねぎらったそうだ。

        *

 海の漁をする者の話によれば、世に「龍燈」と言いならわすものは、実は火ではなく、いたって細かい羽虫が、蛍のごとき光を発するのだ。その虫が多く集まると、なんとなく炎のように見えるのだという。
 この現象は、夏の終わりから秋にかけてよく生じる。時に多くまとまって、高い木の裏、また堂の軒端などにかかったのが、燈火のように見えるので、龍燈と名づけたものらしい。
 筑紫の「不知火」も同じで、水上に生じる虫であり、蛍の類だ。沖に舟をかけて静かにしていると間近に集まってくるが、息を吹きかけると、たちまち散って見えなくなる。
 だから、この日は必ず不知火があらわれるという夜も、大風が吹き、または雨が降ったりすれば出ないと聞く。
 しかし、八弥たちが四倉で見た光は、そんな虫の光とは異なる。何かは分からないが、ともかく不思議の光であったろう。
あやしい古典文学 No.1662